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修行したお坊さんは平常心でいられますか?

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僕には子供の頃から17年飼っているペットの猫がいます。

僕にとってはペットではなく、親友でありかつ手のかかる子供のような存在です。

ですがいい年なので色々な病気の兆候が出てきています。

食欲があるのに歯周病の歯が痛くてゴハンが食べれない、でも高齢なので麻酔して抜歯することも腎臓の数値が高いのでできない。

辛そうにしているのを見ると僕もとんでもなく辛い気持ちになって、もっとしっかり歯みがきしてあげてたらとか一日中そのことを考え他のことが手に付きません。

そこで僕は仏教に救いを求めたいと思いました。
と同時に修行したお坊さんなら同じ時ほんとに平常心でいられるのかな?って疑問に思ってここに書き込みました。

仏教は事実のみに親しむと聞きました。つまり苦しんでる大切な存在を見て、できることがなかったとき、できることがないのだからそのことに対して不安になることもなく、一日中考え続けることもなく、そのことは置いといて平常心でいつもと変わらぬ日常を送れるのでしょうか?

そうなりたい反面、それってちょっと人間味に欠けて悪く言えばサイコパスなようにも見えてしまいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんばんは。
ご質問ありがとうございます。
いただいたご質問はすごく大切なご指摘です。

坊さんだって人の子です。
辛いときには冷静でいられません。
でも、辛い気持ちにフタをすることが解決方法ではない。辛く悲しい気持ちを否定ではなく乗り越えることが仏教だと私は習いました。

「私の力だけで」できることに限りがあるのは事実、だから仏の知恵や経験を頼りたい。
自己本位の視点でなく仏教の視点を頼りたい。

私本位の視点だと「辛い」「もう何もできない」ことが気になりますが、うえすと様と人生を伴にしたネコさんは「辛いだけ、誰からも何もされない」存在ではないですよね。

うえすと様がネコさんと今まで築きあげてきた関係や思い出が消えるわけでないですよね。
ネコさんにとって辛さだけがすべてではなく、辛いなりに人生を投げずに生きてることも事実ですよね。

①人は辛いときに視野が狭くなる。
②目の前の辛さにだけ焦点がいき、今までの生の営みへの尊さや感謝を見失いがちになる
という人間の特性はあります。

また人が今までに「してあげた事」だけに目がいくと『できることがない』と勘違いしやすくなります。
でも、ネコさんから『してもらった事を考えること』や『感謝する』ことはできるはずです。

お辛い気持ちはお察ししますが、ネコへの『あなたと一緒に過ごせて私は幸せだった、支えられた。ありがとう。』の気持ちは大切にしてほしいです。

生き物はいつか死ぬ。
死を伴う別れには悲しみや寂しさが生まれる。
この事実にフタをするのでなく、事実の乗り越えかたを各派のお坊さんがそれぞれのやり方で修行されていると私は思っています。

仏教にはいろんな宗旨があります。
また同じ宗旨でもお坊さんによって視点が違えばいろんな解釈が生まれます。

私なりの仏教解釈ですが、正解とは思っていません。発想の転換の参考になればと思い回答しました。

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質問者からのお礼

返信ありがとうございます。
確かに視野は狭くなってると思います。
感謝という視点で考えようとしても考えてるうちにもっとできたのにという考えが浮かんできてしまいます。
難しいですね。

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