迷っています。
主人と大げんかをしてそのまま主人は自殺しました。
私が殺しました。
悔やんでも荒れてもどうしょうもなく神も仏も信じられず荒れ果てお寺の住職と言い合いになり、ご利益信仰だと真心がないと言われ匙を投げられました。
まだまだ主人を救う方法もわからず、法事もあるのに途方に暮れています。
お寺の住職は修行をたくさんされていてとても力のある方です。しかし真の利益を求めない信仰心を重視しているんだと思います。
きっと荒れ果てている私を見限ったのだと思います。
なぜ人は祈るのか、わからず彼を供養もできず何をしたらよいのかわからず途方に暮れています。
導きもなくただこれから時間が過ぎていくだけなのか。
自分の短気さや人を信じる心がもてない自分はどうしたらよいのだろう。
信じられないことから今回主人を殺してしまい、信じられないことが始まりでした。
どうすれば主人を救い供養できるのか毎日考えても答えは見つかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去は追えない。過去は過ぎ去りました。
拝読させていただきました。
心情お察しすると相当な葛藤の渦中と存じ上げます。
「過去は追うな、未来を願うな、今を生きなさい。」
と、かの仏教の開祖でありますお釈迦さまは経典に記してあります。
私たちは煩悩があるからこそ、生きる知恵を持ちます。また、煩悩があるからこそ過去現在のことで起きたことを悔やんでしまうことも常であります。
今、りえさんが起こした原因をりえさん自身がご自分に向けて、解決を図ろうとしている煩悩が働いているように感じます。
今、ご主人さまは来世なる浄土で住まわれています。あちらの世界は、この世に未練を残さず、煩悩なき清らかな世界で多くの仏さまたちと修行をされながら、過ごしておられます。
お経を上げる前に必ずといっていいほど、この文言(短いお経)を上げた上で、お経を読経いたします。
懺悔文
我昔所造諸悪業
(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴
(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生
(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔
(いっさいがこんかいさんげ)
[簡易説明]
我れ昔より造る所の諸の悪業は、
(われむかしよりつくるところのもろもろのあくごうは)
皆な無始の頓・瞋・痴に由る、
(みなむしの とん・じん・ち による)
身・口・意従り生ずる所なり、
(しん・く・い よりしょうずるところなり)
一切、我れ今皆な懺悔したてまつる。
(いっさい、われいまみなさんげしたてまつる)
と、なっております。
道を外した者は仏教をしてはダメなのか?とんでもないです。仏さまは大慈悲の持ち主です。
まずは懺悔文をしっかり述べた上で、引き続きお経の功力をもって供養をお務めしていただきましたら、時間薬の効果が出てきて、大粒の涙が自然と溢れてくる日が来ます。
心よりお悔やみ申し上げますとともに、心安らかな日が一日もはやく到来いたしますことをご祈念申し上げます。
合掌
南無大師遍照金剛
質問者からのお礼
お優しいお言葉ありがとうございます。
自分の罪から苦しくてたまらなく拝む資格すらないのかと思っていたので大変救われました。
ありがとうございます。ご縁に感謝します。