体と心が離れてしまいます
今、看護大学に通っています。看護師になりたいという小学生からの夢にようやく一歩近づくことができています。先生達も一生懸命教えてくれたり、サポートしてくださっています。そんな先生方に対して感謝しかなくて、自分にできることは一生懸命頑張ることだと思って、日々過ごしてきたのですが、朝起き上がる気力すら湧かず大学を休んでしまうことがありました。友達に嫌なことをされたとか、勉強についていけないということはありません。留年にはなりませんでしたが、そんな風になってしまう自分が情けないです。頑張りすぎと先生に言われますが、どのようにセーブしながら生きていけばよいか分かりません。セーブすると手を抜いてしまうと思って、そんな自分が許せなくなってしまいます。
自分自身、切羽詰まってきたり、ストレスを多く感じると 自分でも制御できないほど 動けなくなってしまいます。大学に行かなければならないと頭ではわかっているのに、体がついてこない…という状況になってしまいます。
この世にストレスがないところなんて無いということは分かっているのですが…このままだと、世の中に出たときに通用しないと思うので、なんとか改善しないといけないと思っています。
体に異常がないか病院を受診したところ、うつ状態だと言われました。今は薬を飲んで治療しています。だいぶ落ち着いてきてはいるのですが、今でも時々動けなくなってしまいます…そのため、バイトを休んでしまったり、家族との約束を果たせなかったりして本当に申し訳ないです。自分が弱すぎるからこんなことになってしまうのかな…と思うこともあります。
自分の思いとは裏腹に、体調を崩してしまうことが多いため、自分でもどうしていけば良いかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どのようにセーブするか?を学ぶのも今でしょう。
こんばんは。プロフィールも読ませて頂きました。そして、私も自分の大学時代を思い出しました。高校までの勉強とか枠組みから解放され、嬉しくて「やりたいこと、全部やろう!」と片っ端から手を出し、予定が重なったり時間が取れなくなったり約束をすっぽかす結果となったり(当時は携帯電話ありませんでしたし)、「でもどうしよう?」と、まさに「どのようにセーブするか?一度始めた物を辞めて良いのか?」が皆目見当付かない状況でした。周りからの期待がある(ように感じている)と、それを裏切るような気持ちがして嫌だったんです。
ただ、同時に感じたのは「誰から見たって、その集団での活動においてのみ評価されている」ということです。Aというゼミでどんなに頑張っても、その結果バイトに行かれなければ、バイト先では「サボる人」としか評価されないのです。
ですから、自分に(一部)傷が付くことを恐れず、いくつかの関係から身を引きました。当然嫌がられはしましたが、自分のことをトータルで見られるのは自分しかないからです。自分しか決断できる人はいないのです。
実のところ、このような事は大学で経験して学ぶことなのかも、と今では思っています。教科書にも書いていませんが、「自分が一杯一杯にならない程度で生活する」ことは、高校まででは恐らく起きえない事だと思います。
ですから、「トータルの自分を見られるのは自分だけ」を信念に、いくつかゴメンナサイをしてみましょう。そういう責任の取り方もある、それを体験する時期なのではないでしょうか。またこれは、「自分で自分を大切にする」ことでもあります。独り立ちしていく上でも重要なことと思います。