元恋人について、愛とはなんなのでしょうか、執着と別れるには
私は最近恋人と別れてしまいました。
自分の中では一番長い付き合いで、この人以上の人はいないだろうとも考えていました。
最初のうちは、こちらの愛情にあちらも答えてくれるという感じでした。
しかし、いつの間にかそれが身近になり、慣れてしまい、相手に思ったことを言わなくてもいいのに言ってしまったり、傷つけてしまったりが日常に・・・。
おそらく、この人を誰にも取られたくないという思いがあり、このような行動に移ってしまったのだと思います。
そして、恋人には愛想をつかされ、嫌われ、恋人を深く傷つけてしまったという結果だけが残り、気づけば自分は、自分が一番嫌う人間になっていました。
今までに感じたことがない大切なものを失った悲み、後悔、自分の性格が捻じ曲がってしまった事に、心がものすごく苦しいです。
幸せから一転、本当に過去の自分を酷く憎く感じています。
少し立ち直った現在でも、思い出すだけで仕事も手につかなくなってしまいます。
生きる意味を突然なくしてしまったと感じてしまうのです。
愛とはなんなのでしょうか。
私が感じていた恋人への感情は、愛ではないのでしょうか。
現在、彼女は別の男性とお付き合いしていると思います。
彼女の幸せを切に願いたいと思う自分がいる一方、自分は独りになってしまった、奪われてしまった、別の人間を愛しているのか、という思いのが大きく、邪魔をし、素直に喜べません。
彼女にはまだ自分が思う愛を感じています。しかし、これは愛ではなく執着なのでしょうか。
執着だった場合、どうすればこれとお別れすることが出来るでしょうか。
お見苦しいねちねちした文章になってしまい、申し訳分けございません。
どうかご回答、よろしくお願い致します。
執着、嫉妬
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愛は執着。新しい刺激に意識を
「愛」という言葉は色んな意味がありますね。
しかし、あなたが言う愛は、おっしゃるとおり執着心でしょうね。
ちなみに、恋は欲望(もっともっと)だと思います。
嫉妬・悲しみは怒り(嫌だ)でしょうね。
仕事が手につかないのは、集中力を出していない「怠け」です。
やるべきときにやるべきことをする、忘れるべきことは忘れる、これには集中力が要ります。
欲・怒り・怠けは、集中力を邪魔します。
集中力を失うと、正しい判断(智慧)も邪魔されます。
人間は、快でも不快でも、とにかく強い刺(苦)に心がひきつけられます。
今の「愛」よりもっと大きな刺激(苦)があれば、愛は忘れます。
今、家が火事になったら、彼女(もう恋人ではない)のことも忘れて逃げるはず。
ずっと同じ彼女に執着するのは、別の刺激がないからかもしれません。
集中力を使って意図的に別の刺激に意識を向けましょう。いつまでも過去を妄想しないで、目の前の現実の刺激に向き合いましょう。
質問者からのお礼
おっしゃる通りだと思います。
いつまでも過去を妄想しないでということにハッと気がつくことができました。
ありがとうございます。