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毒親の信仰する姿勢をみて、神様が怖くなる

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有り難し有り難し 11

自分の人生を自分で進みたい。見えない物に怯える事なく過ごしたい。

母は私が幼少の時から蔑む言葉をよく私に言ってました。学校で虐められても「お前が悪い」と言う人でした。学校の行事など、周りに人が沢山集まる時にだけ私に優しかったのですが、2人きりの時は、数えるほどしかありません。
妹がおりますが、妹と母は仲が良く、何かと優先するのは妹だと私は感じてます。私には内緒で2人でよく出掛け、食卓に並ぶのは妹の好物ばかりです、因みに母は私の好物など知りませんし興味がありません。

また、実家には神様を祀っております(ニュースで出る様な怪しい宗教ではありませんし、宮司さんも普通です。本当に普通の方です)。
ですが、母は何かと神様、神様と頼りにしています。そして、私が母から蔑む様な態度や言葉に反抗すると、「悪量が着いたんだ」と言われてしまいます。私がうつ病の時には、その宮司さんの元に連れてかれ、御祓を受けさせる事もありました。御祓を受けつつ「状況が良くなると良いな」と思いつつも「この病気の原因はお母さんなのに、神様すらそう思わないんだ」と悲しく思っていました。常に母の基準は神様で、「良い事は神様のお陰、また母が毎日欠かさず神様にお礼など手厚くしてるからだ」と言うのが口癖で「悪い事は全て娘の私」なのだそうです。なので、小学校の時の絵が表彰されたのは神様のお陰で、母の仕事が失敗するのは私の責だそうです。

神様は人を見ていると言いますが、私は神様が母を守っていると思うと怖くて仕方ありません。何でこの様に私を蔑み、虐める人が神様に守られるのか、私がおかしいのかな?って不安になり、「私がおかしいなら、神様からいつか罰が下るんじゃないのか?」と悪魔にしか見えない母を前にして、本当にどの様に生きていいかわからなくなってしまいました。
母は、私の話はしっかり聞いてくれた事もありません。「聞いて」と言っても「お前に構ってる暇はない」と言い、神様の奉仕として遠方まで行き御参りします。神様に奉仕をする母がいるから、お前は生きてるのに、感謝が足りないと責められます。それが息苦しかったです。
今は、実家には住所も教えず一人暮らししています。神棚の無い部屋ですが、見えない力に罰を与えられるのでは無いかと、リラックス出来ない日々です。人間力を磨くのは必要です。でも神様に振り回されるのは、もう嫌です。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ぜんぜん心配しないでください。

ゆみさんのご心痛お察し申し上げます。
さて、結論から申し上げますと、お母様の言うような神様はいません。ただ勝手に、お母様が都合よく神様と称しているだけです。だから、ゆみさんには神様を尊崇することさえできなくなってしまったのです。

でも、次元の高い方は存在します。その方を神(上)様と称してもいいかもしれませんが、だからと言って、私たち個々の人生に手を加減したりはしません。そんなことをしたら、その神様だって困ります。
今日まで、辛い親子関係だったかもしれませんが、これからもお母様は変わらないかもしれませんが、ゆみさんが、このマイナススパイラルから脱すればいいのです。

自分の道を歩んでいけばいいので、まずは、第一にお母様の言う神様のということは気にしないでください。もちろん罰になど当たりません。むしろ罰を当てる神様がいたら、いませんが、それは自業自得の結果に過ぎません。安心してください。
それよりも、お母様の言う神様ではなく、やはり尊崇できる神様の存在もあるとうことだけは忘れないでください。今、それを信じなさいということではありません。これからの人生で出会えるかもしれませんが。

人として向上し、人を愛し人に愛される、互いに信頼し助け合う、そのような存在を神様と言い、それはそのまま神様と同じ行いをしていることになります。神様って遠い存在ではなく、とても身近なところにいて、そして、実は、自分もそんな行いをしている時がある。それこそ、その瞬間は神様ではないでしょうか。家族がみんなそんな思いで暮らせたら、そこが天国であり極楽であり浄土でしょう。
人類がみんなそうであったら平和が実現します。少しでもそのような行い思いになりたいですね。
※神と仏とは同義異語です。但し、仏の解釈が異なりますので誤解を生じますが、神様の部分を仏様(死んだ方ではありません)と置き換えて読んでも意味は通じます。

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質問者からのお礼

ありがとうございました。妹との差別に違和感を感じていたものの「住処と食べ物が出るだけ有難いと思え、感謝しろ」と言われるたびに、罰を受けているように感じていました。怯える時間が減りましたが、たまにふと陥ってしまいますが、少しずつでも、考えを変えていけたらと思います。

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