卑下がやめられないのです回答受付中
ここ数年でようやく、自分が毒親育ちと理解し
親から離れ独立しなくてはならないと焦燥感を抱く様になりました。
しかし他者との付き合い方がわかりません。
私が親から習い、自分が世界と付き合っていく手段だと思って来たものが、自己を卑下し相手の下に置くことでしか無かったのです。
懸命に話そうとしても、口を開くと卑下にしかならず。
言葉に詰まり変な目で見られ距離を取られるか、卑下をしてしまう私か。どちらかしか出来ない。
それに気づいた絶望感。
そして周りにいる人間が私を小馬鹿にして利用しようと考えているタイプの人ばかりだと理解しました。
人と話す事が怖いです。苦痛にしか思えません。
家から出るのが怖いです。
これでは何も変えられない。
甘えてないで頑張らないとと焦燥感ばかり募るのに、無気力で部屋から出るのも苦労する様になってしまい、何もかもが手に付きません。
本を読むでもなく、テレビを見るでもなく、
ただ呆然として時が過ぎるのを待っている様な日々です。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
卑下は消せないが、卑下の時間は減らせる
私達には、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩があり、悩み苦しみの原因になっています。
自分を卑下するのもプライドの煩悩の一種です。
本当に煩悩を克服した(悟った)聖者ならば、卑下も自慢もなく、自分の価値を気にしたりもしません。
ですが、悟りを開いていない私達ですから、欲・怒り・怠け・プライドを簡単には止められなくて当然なのです。
ただ、悟っていない私達も、煩悩を一時停止させることは可能です。
例えばポテトチップスを食べたいという欲望が生じてポテチに手を伸ばそうとした瞬間に来客が来たとしたら、意識がポテチへの欲を忘れて来客にスイッチしますね。
そのように、別の何かに意識を集中している時間は、煩悩を一時停止できるのです。
卑下についても、卑下してしまうきっかけの情報(食欲に対するポテチ)に意識が向いていると卑下してしまいますが、全く別のことを考えているときは卑下がストップして、卑下によるストレスも休眠します。
ですから、私達は悟っていないので卑下を無くすのは難しいと、現実を一旦受け入れてください。
その上で、日常生活で、別のことを考える時間を増やすように、卑下のきっかけになる対象物に意識を向ける時間を減らすようにしませんか。
般若心経というお経があります。
その中に、「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」という呪文が出てきます。
例えばこの呪文に意識を集中しているときは、私達は執着・思い込みや恐怖から解放されるのです。
過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念に心が支配されている時間はストレスの時間になりますが、例えば呪文に意識が向いている時間はストレスがストップする時間になる。
心の時間の使い方をちょっと変えてみてはどうでしょうか。