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人に優しくされるのが気がかり

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有り難し有り難し 2

子供の頃、転校した時にそれまで周りにいた友達がいなくなり、当たり前にいた友達が当たり前ではなかったことを知りました。それ以来、「友達」の大切さは実感しています。人は1人では生きていけないことも承知しています。
                                   

しかし、人から優しくされると「この後、お返ししなきゃ」「同じぐらいのお返しができない」と考えてしまい、素直に他人からの優しさに喜べません。
                                    

私が人に親切にした時は相手からの見返りは特に期待していません。しかし、優しさのループができて、それが永遠に続くのではと考えると、スッと相手から離れていく自分がいます。友達との関係が深くなりそうになると、距離を保って付き合いを続けています。なので、広く浅くの付き合いが多いと思います。
                                    

このような考えを持つ根底には、何か恐れているのでしょうか。それが何であるのか知りたいです。そして、人の優しさを素直に受け取るにはどのように考えればいいのか知りたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが人に親切にする時は相手からの見返りを特に期待しないのですよね。
あなたの周りの人も同じだと思いますよ。
あなたに親切にする時はあなたからの見返りを特に期待していないと思いますよ。
ですから、何かお返ししなきゃいけないと思わずにありがたく親切を受け取ったらいいのですよ。
優しさのループはあなたと相手の人2人だけのループでは無く、この世に生きている人全体のループですから、相手にお返しできる時は相手にお返ししたらいいし、他の人に親切にしてもいいし、今でもいいし、将来でもいいのです。
相手にお返しする事を恩返し、他の人にお返しする事を恩送りといいます。
優しさのループがどんどん広がっていったらいい世の中になると思いませんか?
また、人と距離を保ってしまうのは防衛本能だと思います。
相手と近くになれば相手のために使う時間が増えますから、自分の時間が減ってしまいます。
それを本能的に嫌がっていたり。
あるいは、相手と長く付き合えば相手の期待に応えないといけないと常に強迫観念が生まれてしまい、そのストレスから逃れる為に距離を置くのかもしれません。
あるいは、自分の悪い所まで知られてしまうことが怖かったりするのかもしれません。
全ての人と距離を近づける必要はありません。
どうしても合わない人はいますからね。
それに性格の悪い人もいますからね。
ただ、自分を着飾る事なく、ありのままに、悪いところを知ってもらっても受け入れてくれるような、気兼ねなく接することができる友人が少しでもできたらストレスが適度に発散できていいと思います。
またあまり深刻に考えなくても、広く浅くの関係のままでも構わないと思いますよ。
ただその場合は関係を完全に切ってしまわずに、時々手紙や電話やメールで繋がりを維持していたら寂しくないと思いますよ。
最近はメールが増えましたが、昔ながらの年賀状や暑中見舞いなどもいいですね。
あなたの国にそのような習慣があるのか分かりませんが、時々手紙やハガキなどで関係が切れないようにしてみてはどうでしょうか。
「近くに来る際はお茶しに来てね」と一言添えて。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

三宅様
ご回答ありがとうございます。
とても心が軽くなり、また自分自身を見つめ直すきっかけをいただきました。
感謝しています。

「人を信用できない・信じられない」問答一覧

息子の彼女が妊娠しました。

息子23歳、彼女25歳です。 昨夜、付き合っている彼女が妊娠した責任をとって結婚すると言ってきました。私にはこの先に、不安しかありません。 息子は社会人1年目、当然、収入は、パートナーと子供を、部屋を借りて養えるような収入ではありません。 この1年も、家にお金を入れることなく、全て使いつくしている状態です。何に使っているか不明ですが、ギャンブル等はしていません。 彼女は20歳から働いているようで、ただずっと実家暮らしなので、同様に稼いだお金は自由に使ってきたようです。 息子の収入だけでは無理という理解はお互いにあるようで、育休をとり、職場復帰をするとは言っているようですが、同じ会社ではありますが、ポジションが違うため、彼女の収入は息子より多くはないと思います。しかも本当に会社に戻れるかわからない。それは、子供が生まれてみないとわからないこともありますが。 その経済観念がない2人が、子供を育てて、生活できるのだろうかというのが心配です。 綺麗事を言っても、結局はお金の問題で喧嘩となるのは良くあることで、更に二人は、お金に苦労して育ってはいないので。 相手の親御さんには、反対こそされなかったけど、おめでとうとは言われなかったと。 私も本音は、堕胎して欲しいと思っています。 息子の親の立場から考えると、彼女は20代を息子より2年間自由に過ごしてきた、 なので、女性であり年齢的にも、あと数年自由にできなくても我慢できるだろうと。 息子はまだ23歳でこれから仕事にも集中し、プライベートも楽しく過ごせる時期に、自由がなくなってしまう。その4,5年があり結婚して欲しかった。 この年齢で、結婚した人たちが、30代になり離婚しているのを、身近で多く見てきています。早くに結婚したらそうなるよなと今までは他人事でみてきました。 私も24歳で中絶しています。その時の相手とはその後、4年近く付き合いましたが、別れました。 当時の相手の収入は、苦労なく生活できるレベルでしたが、さまざま考えで今は無理と判断しました。 私はそれで良かったと思っています。 また息子の時は、産休だけで仕事を再開し寝ずに仕事に行ったことなど大変な事もありました。 息子達と私の考えは違います。 ただもう不安で食欲もなく起き上がれず、これがずっと続くかと思うと自分の身体も不安になります。どう考えたらいいでしょうか。

有り難し有り難し 4
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人を信じる心、自分を信じる心

いつもありがとうございます。前回の続きです。 大切な存在についてお話しします。 私が話したことにじっと耳を傾け、うんうんと頷き、逆に尋ねたことには一言二言、その先のいろんなことを教えてくれます。 問診が大切な仕事でもあり、1つ言うと、いろんなことを思い巡らせてくれる様子です。 そしてHSPなのではないかと言うほど、共感性が高く悲しい話をしたあとは、顔がこわばるほどです。 私のみでなく他の方に対してもその個性を活かし、対人援助職としての活躍につなげている様子です。 どうしてここまで、その方は私に親切に寄り添い、助けてくれるのでしょうか。仕事として、そして… ある時、ちょっとした仕草に不安を感じ、日を跨いで後日別の機会に「私のことを無意識に嫌いなのではないかと…」と、二人きりの場で打ち明けたところ、苦笑いを浮かべて「考えすぎですよ」とポンポン肩に優しく触れ、「嫌いだったら、ここまでしてません。僕は大丈夫です」と、一生懸命身振り手振りで、打ち解けてくれました。 私が日頃の忙しさで時間に追われ、やらなきゃいけないことで頭がいっぱいの時は「リラックスしましょう」とそっとしてくれたり、趣味のピアノの話を聞いてくれたり、彼の家族関係についても教えてくれたり、そして勤務予定・休みの日についても「僕が合わせるので、空いているタイミングを先に教えてくれたら」と積極的に繋がろうとしてくれました。 またあるときは家に帰る直前、 「凍てつきそうです。どうしたら生き延びられますか」「大丈夫です。何かあったら、連絡ください」と見送ってくれました。 お互い仕事が忙しく、私の体調を支えてくれる分、不摂生が続いて心配な食生活において、何かできればと差し入れを続けています。 志も向上心も、精神的なしなやかさもある優しい人です。 ただただ、燃え尽きずに元気に貢献してほしい。 ひとりの医療従事者として、協力の絆に満ちたチームワークをバネに、ひとりでも多くの患者さんから必要とされ、支えになる唯一無二の存在として自己実現を叶えようとしている勇敢な人です。 その姿を陰から応援できることが、今の私にとっての最高の幸せのひとつです。 とはいえ、まだまだ知り合ったばかり。 まめに時間を取って、周りの存在が関係を育んでくれることに感謝しながら、自分を癒やすことも併行しつつ、毎日を心豊かに過ごしていきたいです。

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何を信じて生きていけばいいかわからない

家族や仕事のトラブルから引きこもりに近い状態になってしまいました。今は人の間で生きることが怖いし、どうすればそんな今を脱却できるのかわかりません。 昔はよき人間であろうとしました。自己啓発にも取り組んだ方だと思います。仕事でもいい職業人であろうとして、出来る限りの努力はしたつもりです。でも結局中途半端に聞き分けのよかった分か、都合のいい人として傷つけられるだけでした。 家族の間においても、仕事においても、あったことをなかったことに、なかったことをあったことにされることが続き、責められ、ある時から患っていたうつ病が完全に悪化してとうとう何もできなくなってしまいました。 最近は、ほぼ引きこもって各種手当で生活をしています。それでも足りない部分があり、嫌々ながら親に頭を下げ、いただいたお金も使っています。そんな自分も嫌いになりつつあります。 また働くにしろ、もう仕事に本気にはなれないし、見合うお金がもらえるかもわからない。何よりもう都合よく扱われたくない、あることないこと、あったこと・なかったことで傷つけられたくない。すべてが怖いです。でもこのままじゃ生活することだってままならない。それでも何かしようとしても心も体も動かず、本気になれない状態です。 そうこうしているうちに、自分が良いと思っていることは本当に良いのか?「誰かにとって都合が良い」からそう教え込まれた、そう思わされているだけではないのか?そんなことを思うようになりました。 例えば道徳として、「悪いことをしたら謝る」というものがあると思います。自分もそう教わりました。でもそう教えたはずの親も、社会に出てからは周りの人間も、そんなことをする人はいませんでした。それを守った私がいいようにされるだけでした。 かといって、人を騙し、人を食らうような生き方をすればよいのかとも思いましたが、それもできませんでした。 もう何が正しいのかもわかりません。何か自分にとって現状を打破することをしようとしても、それは「誰かにとって都合のいいこと」であって、本当に「自分にとっていいこと」「自分が望んだ、願ったこと」なのかと思うとブレーキがかかってしまいます。 何がいいことで、何が悪いことなのか。これから何を信じて、どう生きていけばいいのか。どうすればまた社会に出られるのか。何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。

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同性異性問わず人を信じられません

 はじめまして、ロトウと申します。  同性異性問わず信じていた人達に裏切られた過去から人を信じられません。  その為、過去現在の中で親しい人間はいなかったと断言できます。  まず、異性についてです。  小学生の時に好意を抱いてくれた女子がいましたが、その後彼女に当時の自分が大事にしていたものを「キモい」と言われたことから、子ども心ながら女性不信が根付き始めたようでした。それ以降女性と関わることに忌避感を抱き、異性に対し積極的になることができませんでした。  次に、同性についてです。  中高で自分が親友と思い込んでいた男子と当時仲良くしていましたが、大学以降は徐々に疎遠になりました。成長による価値観の相違は受け入れていましたが、当時約束していた旅行を反故にされたことを裏切りだと感じております。  以上が自分が人を信じられなくなった経緯です。  彼らの本質を見抜けず盲信した自分の愚かさに常々嫌気がさします。  周囲から「過去に縛られなくていい」と慰めのお言葉を頂くこともありますが、心に強く根付いた人間不信が原因で生きづらさを抱えています。  自分が大切に思える誰かがいない自分は生きるべきではないのでしょうか。ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 32
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他人を信用信頼できない事と言う壁。

過去のトラウマが原因で人間不信に陥り他人を信用信頼できなくなってしまい、極力他人と関わらないように生きてきましたが、前向きな人生を歩みたく環境を変える為に移住を決意し、今年から移住活動を始め自身の苦手と自負している交渉ごとを試行錯誤しつつも自治体や賃貸物件の家主ほか関係者との話し合いを重ね、ようやく賃貸契約を結ぶ直前まで事を進めてきました。 契約に関しては空き家バンクを通して地元不動産業者の仲介のもと執り行う予定でしたが、先方家主様から個人間契約をお願いしたいとの旨の連絡があり渋々応じることにしたところ、先方家主様に主導権を握られた感じとそれに伴う強引な押し?が心なしか不信感になりつつあり、先方家主様の言いなりに条件等を丸め込まれる予感に苛まれすごく不安になっています。 去年も一念発起の思いから移住活動をした経緯がありますが、同じような事柄から結果失敗に終わってしまい、失敗した原因を自己分析しあらゆる事に注意、留意をしつつ進めてきたので今回は成功に結びつけたいと強く思っています。 この文面では情報が乏しいと思いますが、よろしければご意見やアドバイスをして頂ければと切に思っております。 どうか移住成功に向けお力添えを宜しくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ