知ってもらえても理解はされない
クエスチョニングです。LGBTの団体に参加することがあり、そこで同じような人を探しますが滅多に見つかりません。
見つけたとしても気持ちを分かり合うことができません。どこかクエスチョニングはクエスチョニングでもそれぞれの人で男女や不明な所の割合が違うように感じます。
友人に話してみても否定はされませんが、肯定や理解しようというのは全く見えません。完全な理解はどんなことであっても難しいのは分かるのですが、性別という点で常にどこに行ったとしても孤独に感じられます。
はっきり男か女か自分で性別がわからないことが自分でも受け入れられないでいます。このまま誰にも本当の意味で受け入れられないままでいるのかと不安に思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
「クエスチョニング」とは、自己のジェンダーや性同一性、性的指向がわからず探している状態である、という事ですね。
タイには18種類の性別があるそうです。一度検索して調べてみてください。性別がグラデーション的にいろいろあるという考え方も良いですね。
マジョリティの男女にだって、好みがありますね。そして他人の好みについて理解できなかったり理解してもらえなかったりする事があります。そういう意味では実は誰もが孤独なのかもしれません。そもそも他人がとやかくいう筋合いはありませんからね。マイノリティだってそれと一緒だと思います。
人それぞれ違いますからね。
いっそ性別に拘らなくてもいいのかもしれないですね。
あなたはあなたですからね。
自分を他人に理解してもらうことは難しいことです。
ですが、自分の価値観を他人に知ってもらう、認めてもらうことは可能だと思いますよ。
お互いにね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。読ませて頂きました。
人の価値は性別にある訳では無いですよね。少し辛いことが重なり大切なことを忘れていたように思います。
それに何もかもが男女のどちらかだという考えもご回答を読ませていただいて、確かにそんなことは無いはずだと気づきました。
とても有難いお言葉、本当にありがとうございます。今完全に解決ということにはなりませんが、このことで思い悩んだ時お言葉を思い出して徐々に私自身の考え方も変えていきたいと思います。