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これは偶然ですか?

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父の法事の後の食事の時に、和紙を加工して燃えない和紙をお鍋にした、鍋料理が出されました。皆が食べ終わった頃、姉の鍋だけがモクモクと黒い煙をあげて焦げはじめました。私はそれを見た時、思わずぎょっとして目が点になりました。「祟りじゃ~」と心の中で思ってしまいました。
その他、姉は今までに家族での外食時にお料理の中にガラスの小さな破片が混入していて口に入れた段階で気が付いたそうです。それがそれぞれ別のお店で合計3回あったそうです。
その話を聞いた時に「へ~」と言いながら心の中で「祟りじゃ~」と思いました。
私は理不尽だなとか、不公平感を感じる事はあっても姉やその他の人の事を呪った事は一度もありません。

仏教では「祟り」や「呪い」はどのように考えられているのでしょうか?
教えてくださいませ。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

祟り呪いはありますが。

お姉さんの、和紙の器が燃えた、これは水分が無かったことでしょうね。
さて、祟りとか呪いとか、昔から言われいますが、すべて、祟られる、呪われる原因があってのことです。そうなるとお姉さんは、誰に、どうしてなのかという事です。余程何か、原因になるようなことをされたのでしょうか。

ぴょんこさんは、お姉さんを呪ったことがないと言われていますが、そのようにお姉さんの不幸?出来事を、そのように解釈すること自体が、まるでそれを楽しんでいるかのように聞こえます。それはどうなのかと思います。

又、厳密に言えば、祟りと呪いは違うものです。祟りは、大まかに神仏とか人間界を超えた世界のことで、少々説明が必要かと思います。
呪いは、どちらかといえば人の執念、執着、怨念、いわゆる積み重なるマイナスの思い、悲しさ、辛さ、悲惨さ苦しさがエネルギーとなって、その人を思う(呪う)
とういうことでしょう。そうせざるを得ない、原因があってのことです。
人間関係において、そのような状況になることは否めません。また、相手側はそう考えていなくても、勝手に思い込みをしてそうなる場合もあるでしょう。

ゆえに、祟りとか呪いは、エネルギーとして存在はしますが、その影響を受けるのは、受け取る側に原因があるということです。
ゆえに早期にその原因を究明し、反省し懴悔することが、解決の方法です。
この事案については、さらに詳しく説明される、お坊さんもおられるでしょうから、お聞きください。

~追伸~
なるほど、それほどまでにお姉さんは、世間様にお迷惑をお掛けしているのですね。それは、そう思いたくなるのも仕方ありません。又、お坊さんに謝る必要はありません。
ともあれ、お姉さんの不良行為は、自らその報いを受けて頂くことになります。そういう意味での呪いは発生するのかもしれませんが、それでも私たちがどうこう思わない方がいいでしょう。

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質問者からのお礼

鈴木海祥様
ご回答ありがとうございます。姉の不幸に対して不謹慎な文章を書いてしまった事をお坊様にお詫びします。
姉の昔からの人を人とも思わない悪行を知っている私は、現実的になんのおとがめもなく、のうのうと暮らしているところに世の中の不条理を痛いほど感じるからです。
そして姉の被害にあった人々が全員、警察に通報するなり、両親に苦情を言うなり、何の手だてもしなかったのです。姉の被害者のうち一人だけ、私に「やめて」くれるように伝えてくれと言いました。なぜか、両親さえ姉に教育的指導ができなかったのです。

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