熊の駆除
みむ女性/30代
回答 1
有り難し 14
よろしくお願いします。
最近また、熊の出没や、被害を聞きます。わたしの近所にも出没し、被害が出ました。そのたびに、駆除されないよう願ってしまいます。そもそも駆除という表現が嫌です。人間に被害を及ぼすからといって駆除。自然の中に共存しているのに。見つからず、逃げて欲しい。そう願ってしまいます。そう言うと、自分の家族が被害にあっても同じこと言える?と言われます。それはわかりません。ですが、お腹を空かせて降りてきて人間に怯えてパニックになった熊を殺すのが悲しくてなりません。どのような考え方をすれば苦しくないのでしょうか?よろしくお願いします。
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【感謝】謝りたくなる
”人間に怯えてパニックになった熊を殺すのが悲しくて”
本当にそうですね。
快適に生活する我々の背景には、いかに犠牲が多いのか考えさせられます。
例えば、我々は食事をする際に「いただきます」と言い、食事が終われば「ごちそうさま」と言い、食事できる事に感謝します。普段、いつもの習慣として何気なく言ういつものセリフですが、あなたの質問のおかげで、文字通り私も改めて「私」が生きる為に犠牲になってしまったあらゆるいのちに謝りたくなってきました。
駆除される側の熊さんからしたら「知らんがな」と、こちらの気持ちなんか一蹴されそうですが、熊さんに限らず駆除される(た)側のあらゆる命に時々は思いを馳せ、つつがない日々を感謝しながら生活させていただなくてはなりませんね。
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