特定の人を気にしないでいられるには
子どもの保育園が同じ知り合いと会うとなぜかどんよりした気持ちになります。
先日、子どもを見ててあげるよと言ったのですが迷路の先に行ってしまい、追いつけず、泣かせてしまいました。
我が子をその場の誰かに託してでもその子を追いかけるべきだった、なにより、自分がみられないのに軽々しくみててあげるなんて言わなきゃよかった、と後悔で、謝りました。
それから度々その人とばったり出会うとなんだか心がずっしり重くなります。
いいよいいよと言って欲しかった、自分勝手です。あぁ、と目をそらされてしまった、なんてことをしてしまったのだろう、と後悔でいっぱいです。
以前お茶をしたときに他の人について、こんなことがあった!あの人は絶対に友達になれないタイプ!と言っているのを聞いて、その言葉が頭から離れません。
なんでこんな気持ちになるのかわかりません。
もう謝ったんだから、と思うのに、どんよりした気持ちになります。
他に考えたいことたくさんあるのに、きっと相手はなんともおもってないだろうに、なんでこんな気持ちになってしまうんだろう、と自分が嫌です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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過去の自分は別人
私にも、似たような経験があります。
いつまでたっても過去の失敗は帳消しにできませんからね。
ただ、仏教では「自分」という存在に実体はないと考えます。
私たちの細胞はどんどん入れ替わるので、過去の自分と今日の自分は別人(別の物体)です。
記憶データを相続しているが別の人。
大河ドラマの主人公の子供時代と青年時代を違う役者が演じるようなもの。
あなたは、今のあなたの「役」をしっかり演じればよいだけ。
過去の失敗は、別の役者がやった失敗。
役(キャラ)は引き続いてますが、別の人間(プレーヤー)だと開き直りましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
別人、なるほど、そのときにはもう戻れないから今の私ができることを考えていきたいと思います。