友人に拒絶された、仏様のご見解
いつもお世話になっております。
きつい言葉を言って傷つけてしまったSNS友人に謝り、手紙を書き、直接話させてほしいとメールを送ったのですが、(多忙ではなく私への精神的な余裕の意味で)私と話せる状態ではないし、謝罪や気持ちは受け取らないと返事をされてしまいました。
もともと私はこれから国家資格の試験を控えており、和解できたとしても友人を大事にできる自信がありません。
忙しさのほかに、価値観も微妙にズレてきたと感じるようになりました(例えば、私は日々の重点に勉強を置き、友人は遊びを置き。私はポジティブに考えるようになりましたが、友人はネガティブなままなど)。
今回、ここまで拒絶されて、自業自得であるとむしろ安心してしまいました。
今も和解を夢見ていますが、大事にできないなら、最初から手を出すべきではないと考えてしまいました。
たくさん笑い合った大切な人でした。
受け取ってもらえなかった好意が悲しく、辛いのですが、大事な友人を尊重したいです。
何だかとても考えるのに疲れてしまって、友人だったのかどうかすらもよくわからなくなってきました。
あの人は、SNS上では別の方々と楽しく過ごされているようで、遊びの予定も立てているようです。私はあの人にとって必要ない人だということが身にしみてキツイです。
仏様が勉学に集中しろと仰っているのでしょうか。
今ここであの人を手放すのが最後の愛でしょうか。
衝撃が強いです。
ご回答頂けますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大事にするとはどういうことか
ご相談拝読しました。友人を大事にするとはどういうことでしょうね。これを機に考えてみましょう。
和解を夢見ているとのことですが、それは自分が拒絶されたということが受け入れがたいのか、本当に相手を大事にしたいからなのか…。
ところで相手を大事にするとはどういうことでしょうか。ベタベタ仲良くすることでしょうか、相手の望みどおりに付き合うことでしょうか。どうも違うのではないでしょうか。
国家資格の勉強で忙しく時間もなくなるでしょうから、頻繁にあったり連絡を取り合うことは難しくなるのは当然です。それは何も悪い事ではないと思います。
でもそれと相手を大事にすることが両立できないかというとそんなこともないのではないでしょうか。
あなたが相手を、相手との関係を本当に大事にしたいのなら、価値観がズレてきたとか、相手から(一時的に)受け入れられないとか、そうした状況を理由に関係を切ってしまおうというのでなく、それでも相手は私にとって大事な人だという思いをもって待つことも一つです。
またいつか関係が修復することも、相手が求めてくることもあるかもしれません。時の流れで気持ちや関係は変わるものです。
仏様は運命の支配者ではありません。事実を教えてくださるかたです。関係が上手く行かなくなったのは仏様の差配ではなく、お互いの中に原因があったはずです。
見つめるいい機会としてみましょう。
出会いあれば別れあり
質問者からのお礼
有難うございます。
「諦めは、明らめ」。とても良い言葉に思いました。
別れに恐怖することなく、また歩き出そうと思います。
吉武文法様
ご回答有難うございます。
物の考え方に新たな気づきを得ることのできた御指導も有難うございます。
和解を考えているのは、おそらく拒絶された事が受け入れがたいのかもしれません…。本当につい数ヶ月前までは親しく文通していて、私の知らない彼女になったかのように拒絶されたことが信じられないのです…。人は変わるということと、これもまた私に今まで見せていなかったもう一つの彼女の顔なのでしょうか。
相手を大事にすることについて、新たな見解でした。友人はとても寂しがり屋なので、苦しい時はすぐに相談に乗り、遊びたい時はすぐに遊ぶということが相手を大事にすることだと勘違いしていました。
拒絶は「一時的」と目にして、驚かされました。文面からは、友人はとても頑なに私を拒絶しているように見えてしまったので…。ですが、友人が大事だとの気持ちは変わらないので、仰るとおり、時の流れに任せて待とうと思います。
仏様はとても貴重な機会を下さったと感じ入ります。
涙を流してばかりいるのはほどほどにして、すべてのことに感謝しつつ生きていこうと思います。