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生きることと死ぬことを真剣に話したい

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死にたいです。でも、以前、周りの人に死にたいと打ち明けたら、なぜかを聞く前に目の前で怒鳴られたり、泣き叫んで錯乱したり取り乱されて「じゃあ、私が先に死ねばいいってことでしょ!」と刃物を取り出されたり、人間関係がめちゃくちゃになったりしました。なのでもうそれが怖くて誰にも言えません。

私には当たり前の気持ちなのでなぜ取り乱したりするのかが分からずそれを一旦でも受け止めてすらもらえないことが悲しいし、誰にも言えないのでぐるぐる回って、死にたい気持ちがどんどん膨らんでいきます。

近しい人だからこそ、自分の思っていることを分かって欲しいのに、こんな大事なことも話せないことに孤独と絶望を感じます。

生きることや死ぬことについて深く話せないのに、信頼とか友情とか愛情とか軽々しく口に出す人がちゃんちゃらおかしく見えます。

生きることや死ぬことをもっと切実に真剣に話したり聞いたりする場が、ほしいです。

病院に行っても身体的なことを聞かれて薬を出されて、通い続けるのが面倒だし、インターネットは色々な危険があるし、いのちの電話などは、以前すごく高圧的だったり鼻であしらわれたような対応をされたので関わりたくありません。顔が見える距離で生きることと死ぬことを真剣に聞きたいし、話したい。

どうやったら生きることや死ぬことを真剣に聞いたり話したりする人間関係が築けるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【追記あり】場を求めて

死にたいほどの苦しみを抱えているあなたのような人で同じように悩んでいる方は多いのでしょうね。
その悩みが共有できないことがさらに辛いのですよね。

しかし現実は、近しい関係であればこそ、その相手から「死にたい」と打ち明けられたらビックリしてしまう方が多いでしょう。「そんなこといわずに」と取り繕ったり、「まあ飲みにでもいってぱあっとやろう」とごまかそうとする場合もあるかもしれません。
やはり生きること死ぬことそのものについて真剣に語るならばそれなりの知識・経験・体力がいるものなのかもしれません。

そういう意味では本来はお寺こそその役割を果たすべき場であると思いますが、なかなかそうしたご縁に恵まれることも難しいでしょうか。
どうかあきらめずにお近くのhasunoha回答僧の寺院や、法話会、相談会などをしている寺院に足を運び場を求めていただきたいと思います。
もちろんここhasunohaではいくらでもやり取りさせていただきますが、やはり対面で話す力は大きいでしょうからね。

仏法をともに学ぶ友を法友(ほうゆう)と言います。これほど大きな存在はありません。さらには仏法を聞いて喜ぶひとをお釈迦様は「我が善き親友である」とおっしゃってくださいます。

生きること死ぬことなんか考えたってしょうがないという意見もあるかもしれませんが、誰も生きそして死んでいくのですから、「それならあなたはしょうがなく生きてしょうがなく死んでいくのですか?」と問いたくなってしまいますよね。

よき場に恵まれますことを念じます。

【追記】
人間関係については、これまでとは別にどこかに理想の関係を築ける相手がいるかというと、まあそういう場合もなくはないでしょうが、大きいのは目の前のあいてとどう関わるかでしょう。
「死にたい」が受け入れられないなら「死にたいほど苦しい事がある」とか、相手に聞いてもらえそうな話し方をするのも一つかもしれません。相手と自分との違いを認め合える時、自分の思いとは違う形でも自分のことが受け止めてもらえたなあとか、みんなそれぞれ色々抱えてるなあと感じられるご縁もあるかもしれません。
もちろん先に回答したようにお寺など相応しい場を求めることも一つですので、両方意識しながら過ごしてみてはいかがでしょうか。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武 文法 先生
早速に丁寧なご回答をくださいましてありがとうございます。頂いた回答を拝見しながら、生きることや死ぬことを話す人間関係ができないということは、私自身がそもそも薄っぺらで軽薄な人間で、そのような人間関係しか今まで築けてこなかったことではないかと自省いたしました。浮世の人生はいつもドタバタしていますが、やはり「しょうがなく生きてしょうがなく死ぬ」のは本意ではないので、生きるにしろ、死ぬにせよ、納得してから決断しようと思いました。ありがとうございます。

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