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モラハラ、乱暴な主人との生活再建(再)

回答数回答 1
有り難し有り難し 12

【質問が投稿されていないようだったので再度投稿致します】
はじめて相談します。よろしくお願い致します。

結婚して約1年と少しが経過しましたが、日々の生活の中で
・容姿をけなしたり、聞いていて不快な言葉を発する
・少し気に入らないことがあると無視し、理由を聞いても答えてくれない
・私の私物をめちゃくちゃにする
・些細なことで激しく怒り、怒鳴りちらす(顔にお茶をかけられたことがある)
・話し合いが出来ず、こちらにすべて非があるように終始する
以上のようなことが続き、精神不安定になり、非常に恐怖感を抱いていた中、ある日胸ぐらを掴まれ壁に押しやられたことを機に、家を出ました。

私は夫婦仲良く、笑いあいながら生活を共にしていくことが希望だったので、
自分に出来ることや支えになるようなことは、自分の中でやってきたつもりでしたし、むしろやりすぎて、自分を犠牲にし蔑ろにしていたことは反省点かと思いますが、現在の状況がとても残念でなりません。

その後、主人はもともと瞑想(主にヴィパッサナー瞑想)などに興味を持っていたためか、仏教の教えにならい、執着や欲望、怒りや哀愁などの迷い苦しみを根絶やしにし、真の愛と安らぎに至る道を私が選択するのであれば、共に歩む道を進みたい、と伝えてきました。

主人がこの結果に至るまで、それは様々な意見の変容があり、その度に翻弄され、辟易としていたのですが、結局私自身も、離婚を決意することがどうしても出来なかったので、近日戻る予定でいます。

主人の言うような「執着、欲望や怒り、哀愁」をなくしていく道というのが、苦しみの多いこの世を生きていく上での指針になる、というのは理解できるのですが、実生活でそれをしてしまうと、ただ楽しくないようになってしまうのではないか、と思いました。

些細なことに怒らず、今日は空が青いとか、海は荒れているな、とかお花が綺麗に咲いている、とかそういうことを共有しあえるだけで良いのですが、それも欲望になってしまうのでしょうか。

そして、私も主人に結局執着してしまっていることも理解しています。

仏教の教えの道を行く主人と共に穏やかな人生を歩むことは、やはり欲望なので
しょうか。

私達夫婦のような関係性に、仏教の教えを生かして共に生きていくためには、どうしたら良いのでしょうか。
ご教示頂けますと幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

理想と現実、どちらに立つか

はじめまして。ご相談拝読しました。

ん?とまず思ったのは、

>仏教の教えにならい、執着や欲望、怒りや哀愁などの迷い苦しみを根絶やしにし、真の愛と安らぎに至る道

を選択するのはモラハラ及び暴力行為を行ったご主人でなく、あなたなのですか?そして共に歩む道を進むかどうかは本来はご主人でなくあなたが優位な立場で決めるべきことなのでは??

なんだか既に疑問・不安を大きく感じます。

いずれにしても、戻るかどうか、今後も夫婦でいるかどうか、そんな大事なことは実際に徐々に一緒にいる時間を過ごしてみたり、また生活してみたりしてから判断すべきことで、「こうする・こうしたいという決意、あるいは希望」の段階でそれを前提に決めてしまうものではないでしょう。

それにね。仏教にも色々ありますが、大きく分けると2つです。それは「煩悩を断つことが私にできる」という立場に立つものと、「煩悩を断つことは私にはできない」という立場に立つものです。

仏教本来は前者です。なぜならば仏教が目指す涅槃(ねはん)という境地は煩悩を滅し尽くしたものですからそこを目指すのは当然です。

でも煩悩ってそんなに甘いものじゃないのです。怒り、執着、貪り、そうした煩悩は私たちは正確無比に起こしませんか?私には起きます。

一緒に食事をして同じメニューを頼んだら連れ合いの方が量が多く見えたとかいう小さなことから、震災や食糧難で苦しんでいる人がいても自分の財産を投げうって募金できないという現実とか、どうせ食べるならば美味しいものが食べたいという身近なものまで、そこには煩悩が私の意志を超えて起きてくるのです。

その私がその煩悩を断てるという立場に立つ教えは、どんなに崇高なものであろうと、それが私に成り立たないのであれば絵に描いた餅です。

私は浄土真宗ですが、浄土真宗も仏教である限りは煩悩を肯定はしません。しかしその煩悩が私にはいかようにもしようがないという事実に目を覚ますならば、私の歩みは変わってくるのです。

ご主人は既に自分が煩悩を断てるという立場に立った上で、さらにはそれをあなたにも求めることで二人の生活が成り立つという二重の前提の上にいらっしゃるようにお見受けします。それはあまりにも危うくはないでしょうか。

仏教の教えを活かすというは立派な者になるのでなく、自分の現実を知らされることではないでしょうか。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武文法様
メッセージ頂き、誠にありがとうございました。
「~真の愛と安らぎの道」は、主人が目指す道で、私も同様にそれを目指すのであれば、共に歩みたい、とのことでしたので、あくまで選ぶのは私となります。
内容に語弊があり、申し訳ありません。
なぜか、主人は最早その道しか一緒にいれる道がないと決めている様子です。
そんなことしなくても、お互いに悪いところは反省、改善して、歩み寄り、楽しく過ごすことを目標とすれば良いというような、極めてシンプルなことだと思うのですが、主人は非常に極端な性格です。
実は一度は、もう離婚しようと伝え、主人も納得したのですが、私がどうにも腑に落ちなくて、もう一度やっていきたい、と伝えました。
あくまで主人がゆくこの道のスタンスは変わらないようです。
世の中に変わらないことはない、すべてが変化していく、という仏教の教えにこれもまた習い、恐らく今はこの状態なのだと思います。
そういう意味でも話し合いが出来ないのです。
家を出た頃こそ、主人も私と同じような意見でやり直してみないか、と言われていましたが、それも変わっていき、今のようになってしまいました。
もう、私がそのような道を選択しなければ、別れることになると思います。
主人にいつまでも執着している私も私なのかもしれませんが、、、
煩悩は、小さなことから大きなことまであるのですね。
主人は何か勘違いしているのだと思います。思い込みが激しくて極端なので、それもまた疲れてしまいます。
結局主人は、主人の言う道に沿えないならば、お互いの道を行くしかない、と決め込んでいるようですので、後は私次第かと思いました。
元はモラハラで、乱暴な主人に疲れてしまったことです。
大事な部分を見落とすところでした。
道南地区ということで居住地域も近いところがあり、ご縁を感じました。
大変にご丁寧なメッセージを頂き、今一度御礼申し上げます。ありがとうございました。

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