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友人を傷つけた自分を許せないです

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

いつも皆さんのご相談とお坊様方のご回答拝読しております。
2年ほど前登録させていただいた折は質問する機会に恵まれず、ふと思い立ちのぞいたところ質問ができそうだったので失礼します。

さかのぼること3年前に私は趣味を通じてとても気の合い、色んなことを教えてもらったり刺激を受けたりと大切に思っていた友人を傷つけ疎遠になってしまいました。
原因は私にあり、友人はもとより私自身もされたら心が波立つ行動をしてしまいました。普段なら絶対にしないというくらい私も嫌な行為だったので、当時は完全に魔がさしたと思っていましたが、どこか彼女と私の仲なら最悪な事態にならないのではと思っていたのかもと今となっては反省しています。

とにかく彼女に申し訳なく、彼女に言われたこと、相談した他人に言われたことを日々反芻して改善できるように生きてきました。
3年たった今も私は本当にひどいことをしたと一日に一回は思い、彼女と出会ったきっかけの趣味も楽しんではいけないような気持になります。けれど同時に私が至らなかったからこそここで努力して変わったところをいつか見てもらえたらとも思ってしまいます。

ほかの友人の何人かは「そんなに自分を責めなくていいんじゃない」「もう忘れた方がいいよ」と言ってくれますが、『大切な人を、自分もされたくないことをして傷つけた』という最低な事実は忘れるべきではないし一生背負っていくべきだと私は思うんです。
もう二度と同じことはしたくないですし、そうならないように私が未熟なうちは親しい人を作ってはいけないと常々思っています。

お坊様方は私と同じような経験をされたとき、ご自分に対してどう考えますか?
自分を納得させるのか、自責の念を持ち続けるのか、これも経験だとさっぱり水に流すのか、前を見るのか…様々なご意見を伺いたいです。
ぜひ参考にさせてください。自分自身の狭い視野では答えが凝り固まって見えません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ため込まない生き方をしてみませんか?

初めまして、こんにちは。

よみしら様のお悩みを拝見させて頂きました。

生きているからこそ、様々なできごとがあり嬉しいことも、悲しいできごともたくさんあり、誰にでも必ず一度は傷つけ、傷つけられる事がありその出来事から学び成長をするのが人生ではないでしょうか?

言葉とは一度口に出すと・・回収ができないだけに、発する言葉を意識することはとても大切だと思います。まさに、言霊です。その出来事により、大きな気づきを与えて頂いたのです。人生の中で気づきを与えて頂いても・・気が付かず難儀される方もいます。知らないことは恥じてはいけません。

私自身も、仲の良い友人と思い切り!ぶつかり合う時も御座います。時にはゴングが鳴り、ヒートアップして・・すぐ、お互い言い過ぎた!ごめん!!と言っています。

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから・・

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから・・

行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから・・

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから・・

性格に気を付けなさい。それはいつか運命になるから・・

私の尊敬する一人、マザーテレサさんの言葉です。

日々の行動、言葉、思いが人生を形成すると思っています。

色々な方と出会い様々な経験が人を大きく成長するとも思います。誰にでも必ず良さを持っています。ありのままの自分を受け入れ、自分を好きになって欲しいです。人は良く思えばその通りに。悪く考えてしまえばそうなってしまう事もあります。せっかくの与えて頂いた人生を笑顔で過ごして見ませんか?沢山、失敗していいのです。

失敗をしてもそこから学べたのですから!

あなたらしい、素敵な人生を仕合せに過ごせますように。

合掌

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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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両方です。

 こんにちは。最近も投稿規制があるようで、大変ですね。問いを投げかけてくださり、ありがとうございます。
 さて、「ゆるす」「自分を律する」どちらも、というのが私の考えです。
 過去を覚えていて反省し、現在に活かすということですね。「ひどいことをしてしまった」というのは、お相手との縁の上で起きていることですから、厳密には「同じ状況」というのは成り立ちえない訳です。「前回は、このセリフが致命傷だった」としても、次回それが致命傷になるかは分からない訳です。また、いまはあなたが「これはセーフ」と思っていることで、次の縁の上では致命傷になる可能性もある訳でね。
 「問題を起こす可能性がゼロな自分」というのは、いつまで経っても手に入りません。
 なので、人付き合いは慎重に。なるべく言葉は尽くす。これからも人を傷つけたり、つけられる可能性はある事は覚悟する。
 そうやって、ダメな自分を受容する事は、自己肯定感の一つなのです。そして、それをできる人が、他人にも優しくなれる訳です。
 お互い、機械ではない生身の人間です。大丈夫。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

佐藤良文様>
さっそくのお言葉ありがとうございます。本当に勉強になりました。
中でも相手との縁で起きたことだからどの行動をして致命傷になるかセーフになるかはそのご縁次第というお考えは私にはまったく思いつかない考えでしたのでハッとしました。
そして自己肯定感の認識もまた異なっていたようで、これもまた学びとなりました。
私はあまり喧嘩をしたことがなく、経験がないので覚悟がまだまだ足りないのだと思います。経験が浅いなりにお言葉を胸に覚悟を決めて誠実に人間関係を築いていきたいと思います。
有難うございました。

永寛様>

マザー・テレサの名言と、お優しいお言葉ありがとうございます。
私は喧嘩したり、ぶつかりあう経験がほとんどなく育ってきました。
そのため回避できることもできず、慮りの深さもなかったのだと思います。ぶつかり合って仲直りできれば一番良いのですが子供の時のそれとはずいぶん異なりますものね。
失敗から学べる人になれているのならうれしいです。
包容力のある素敵なお言葉本当に感謝いたします。ありがとうございました。

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