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お坊様の体験、経験談

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

こんばんわ。いつもお世話になっております。今生きる希望や生きがいを見出せなくて毎日苦しい気持ちで過ごしております。

お坊様も、いろんなご経験をされて今があることと思いますが、これまでの苦難や苦しみ、どんな辛かった経験をどう乗り越えてこられたのでしょう。
不躾ですみません、個人的なことをお聞きしてしまうので差し支えない範囲で結構ですので、どう乗り越えられてきたのか・何を支えにされてきたのか私にご教授ください。

みんな、こんな苦しい状況からでも這い上がった・乗り越えているんだという経験談やお知恵をお聞かせいただきたいです。
藁にもすがりたい気持ちです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そうですね。不離知遇(ふりちぐう)でしょうか

そうですね。不離知遇(ふりちぐう)でしょうかね。このおことばは、浄土宗二祖聖光上人の『徹選択集』に出てくる言葉で、「念仏とは不離仏、知遇仏の義なり」とお書きになり、私たちは仏様といつも離れることがなく、常に向かっていると述べられたのです。念仏している限り、常に仏様がついているということです。ですから、キリスト教の結婚式で「病めるときも」とありますが、それと同じようなもので、私は精神病ですが、その時もずっと仏様は一緒にいてくれました。そのおかけで精神病も快方に向かい、おかげさまで、現在働いております。転重軽受(てんじゅうけいじゅ)といいますが、病気を軽くすることはできるのです。生き方ひとつで。と私は思います。

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浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)、その後宗門大学(浄土宗の僧侶養成機関)である大正大学佛教学部で学び加行(住職修行)を得るための修行)を受け浄土宗教師(浄土宗の正式なお坊さんとしての、住職資格)を取った後、某寺に入寺、京都の大本山黒谷金戎光明寺内にある浄土宗教師修練道場(浄土宗教師が更に1年間研鑽を務める場)にて1年間修行研鑽、その後も研鑽を続け、教学(浄土宗を中心とした仏教の教え)・法式(お経のあげ方・儀礼)・詠唱(ご詠歌・和讃)・布教(教えの伝え方)・雅楽の研鑽を積んでいます。 がしかし、もともと小学校時代から精神疾患で、大学で精神科初診、20代は通院しながら、学業・修行・僧職を勤めていましたが、30代で仕事と結婚のストレスがさらにかかり、大きく心身の体調を崩して入院して以来、寺は休職しています。そして、今は寺を離れ草庵に暮らしています。 2003年に大きく体調を崩して、入院以来入退院を23回繰り返しています。40代過ぎから、徐々に精神的に安定し、50代手前の最近少しバイトが出来るようになりました。デイケア、障害者職業訓練、B型就労支援事業所とステップアップし、単発派遣から初めて、バイトで、2社に勤めて、体調悪化で入院してこの2社をやめて、今は3社目のアルバイトをしています。その中で得られた人間的成長の気づきもフィードバックしていきたいと思います。 精神障害2級の統合失調症・双極性障害・不眠症持ちです。 こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 連絡先は、blister55.takahiro@gmail.com
対応できる時間は昼間です。音声のみにてお願いいたします。体調などにより対応できない場合もあります。専門分野は精神疾患・恋愛・人生・仕事・浄土教などです。よろしくお願いします。

「あの頃の自分」のつづき…

他の相談者への回答の続編になるのですが…(文字数制限で書けませんでした)

自殺を決意して山に入ったが、最後に思い留まって山を下りてくる時です…

自殺せずに生きる…を決意したものの、「さてどうしようか…」と思いながら歩いていると、一本の杉の木が目にとまりました。
斜面に生えた根の部分が大きく曲がった杉の木でした。
冬、雪に押されたのか、斜面が崩れたのか…真横を向くように生えてから、真っ直ぐ天に向かって伸びていました。

自らの意思でなく、人の都合で植林されて、恵まれた環境でなくても、精一杯天に向かって生きている…

その姿を見た時に、大きく心が動かされました。

自分も精一杯生きよう…と思いました。

「死のう」と思って登った時にも同じ木を見ていたはずなのに、その時は何も感じませんでしたが、「どう生きようか」と思って下ってきた時には、杉の木がその存在を教えてくれたような気がしました。

私はその木に「ありがとう」と言ってまた泣いて、山を下りました。

その後、お経やその解説本を読むと、その内容が一々腑に落ちました。
「生きたくない」と思って、「助けてほしい」と思って読んだ時には全く納得できなかったのに、「どう生きるか?」と思って読み直すと、それまでの経験や知識が繋がり、納得できました。

やっとお釈迦様の教えの『有り難さ』を実感することができました。

…というお話。

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曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 思うところあって『非公開』にて参加させて頂いております。
指名も無いと思いますし、不得手な分野な為、他の回答僧諸師にお任せ致します。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
仏様はいつもそばにいてくれる…そんな心強い支えが欲しい、そんな気持ちに私もなりたいと思いました。
私も心療内科に通っており薬を服用しておりますが、薬で治るような気がしないのです。
その心の支え、拠り所がほしいのです。
私も生き方を見つめ直したいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ