お坊様の体験、経験談
こんばんわ。いつもお世話になっております。今生きる希望や生きがいを見出せなくて毎日苦しい気持ちで過ごしております。
お坊様も、いろんなご経験をされて今があることと思いますが、これまでの苦難や苦しみ、どんな辛かった経験をどう乗り越えてこられたのでしょう。
不躾ですみません、個人的なことをお聞きしてしまうので差し支えない範囲で結構ですので、どう乗り越えられてきたのか・何を支えにされてきたのか私にご教授ください。
みんな、こんな苦しい状況からでも這い上がった・乗り越えているんだという経験談やお知恵をお聞かせいただきたいです。
藁にもすがりたい気持ちです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そうですね。不離知遇(ふりちぐう)でしょうか
そうですね。不離知遇(ふりちぐう)でしょうかね。このおことばは、浄土宗二祖聖光上人の『徹選択集』に出てくる言葉で、「念仏とは不離仏、知遇仏の義なり」とお書きになり、私たちは仏様といつも離れることがなく、常に向かっていると述べられたのです。念仏している限り、常に仏様がついているということです。ですから、キリスト教の結婚式で「病めるときも」とありますが、それと同じようなもので、私は精神病ですが、その時もずっと仏様は一緒にいてくれました。そのおかけで精神病も快方に向かい、おかげさまで、現在働いております。転重軽受(てんじゅうけいじゅ)といいますが、病気を軽くすることはできるのです。生き方ひとつで。と私は思います。
「あの頃の自分」のつづき…
他の相談者への回答の続編になるのですが…(文字数制限で書けませんでした)
自殺を決意して山に入ったが、最後に思い留まって山を下りてくる時です…
自殺せずに生きる…を決意したものの、「さてどうしようか…」と思いながら歩いていると、一本の杉の木が目にとまりました。
斜面に生えた根の部分が大きく曲がった杉の木でした。
冬、雪に押されたのか、斜面が崩れたのか…真横を向くように生えてから、真っ直ぐ天に向かって伸びていました。
自らの意思でなく、人の都合で植林されて、恵まれた環境でなくても、精一杯天に向かって生きている…
その姿を見た時に、大きく心が動かされました。
自分も精一杯生きよう…と思いました。
「死のう」と思って登った時にも同じ木を見ていたはずなのに、その時は何も感じませんでしたが、「どう生きようか」と思って下ってきた時には、杉の木がその存在を教えてくれたような気がしました。
私はその木に「ありがとう」と言ってまた泣いて、山を下りました。
その後、お経やその解説本を読むと、その内容が一々腑に落ちました。
「生きたくない」と思って、「助けてほしい」と思って読んだ時には全く納得できなかったのに、「どう生きるか?」と思って読み直すと、それまでの経験や知識が繋がり、納得できました。
やっとお釈迦様の教えの『有り難さ』を実感することができました。
…というお話。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
仏様はいつもそばにいてくれる…そんな心強い支えが欲しい、そんな気持ちに私もなりたいと思いました。
私も心療内科に通っており薬を服用しておりますが、薬で治るような気がしないのです。
その心の支え、拠り所がほしいのです。
私も生き方を見つめ直したいと思います。