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実父と夫の不仲についての気持ちの落とし所

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有り難し有り難し 24

以前相談させて頂いた者です。
私の実父の言動が粗野で、夫が怒った事以前相談させて頂いたのですが、残念ながら解決に至っておりません。
夫は私の父が夫を馬鹿にしたような言動が以前からあり、我慢の限界なのでもう会いたくないと言っております。
父はそんなつもりは無く(とはいえ反りの合わない婿だと思っている)一方的に疎遠にされたことに怒っていて直接話がしたいと言っています。
夫は相変わらず会いたくないし話したくないと言っているので私がやんわりと父に断り続けています。父はそんな私に苛立ちお前では話にならないと私に対しても怒り始めていて、今実家の空気が悪いのは私達夫婦のせいだと責められます。
大切だった私の生家が私のせいでギスギス壊れていくのは辛いです。
一人涼しい顔して楽しそうに日常を過ごす夫がとても遠くに感じられて、自分一人がドロドロした沼から永遠に出られないような気持ちで昨年は過ごしました。
今年の正月も、実家には行かないと言う夫と怒る父の間で沈鬱した気持ちで過ごしました。夫の実家で過ごさせて頂き、義弟夫婦も来ていて子供達もいとこと遊び私以外の皆が楽しそうで幸せそうでした。
居場所が無かったです。楽しそうな顔も作れませんが周りに心配掛けるような事になるのも絶対嫌でしたから普通にしようしようとする程重たいものを呑んだような気分になり、孤独で辛いけれどここには居たくない、一人は嫌だけど一人になりたいと頭がおかしくなりそうでした。

正直解決や和解は無理だと思ってます。
夫の言うことも解ります。

でも、私の父をコイツ呼ばわりし 会いたくないと言いながら楽しそうに過ごす夫を
信頼することが何かとても難しいです。

割り切り方と言うか、本当に私のこの被害妄想染みた憂鬱な気持ちが嫌で仕方ありません。割り切りたいです。
こんなこと鼻で笑えるぐらい強くなりたいです。
父に言い返したいし、夫に怒りたいです。
私にも気持ちがあるから、本当はもっとそれを大切に生きたいです。
そのために出来る第一歩はなんでしょう。
何を心に強く持てばいいのでしょうか。

正月早々に長文でぐだぐだと大変申し訳ありません。お忙しい中、ここまで読んで下さり有り難うございました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どちらもエゴが悪いだけと思いましょう。

罪を憎んで人を憎まずといいますように、どちらもその事以外は大切なイイ家族です。千の内999~800ぐらいは問題ないのでしょうから、四捨五入で許してやっておくんなまし。そもそも男というものは生命的にはオス。負けん気も強いサガがあるのでケンカしやすいものですがケンカしてても口で言うだけで会わなければさほど問題ではありません。どっちも本人の問題。
国と国をみても仲の悪い国は何百年の歴史を超えて仲が悪いわけですし、お釈迦さまもキリストさまも世界中の人を救えたわけでもありません。どこまで行ってもお互い本人のエゴが問題なのです。今回はエゴをテーマにされる事で解決します。実はあなたも無自覚ながら小さなエゴがあるのです。相手を変えようとしたい気持ちもあって思い通りにならないからモヤモヤする。まずは他者の問題ではなく自分自身の問題として角度を変えて自身の盲点になっているエゴも感じてみましょう。そうすると誰も悪くなりません。
私があなたの立場だとしたら今の窮屈な関係を打破するためにこういうと思います。
旦那向け
「ちょっと最後まで聞いてほしいことがある。
①私は父の娘であり、あなたの夫でもある。だから、二人の間に挟まれてとても苦しいのね。父のことをあなたになんとか理解してもらって可能だったら仲良くしてもらいたい。でも、それは今の時点ではまだコミュニケーション不足で無理。
②だけどそこで気づいたことが一つある。それは「私が」あなたを変えようとしたこと。父を変えようとしたこと。
でも人は変えられない。そこで、もしあなたに愛があるなら分かってほしいことがある。
③それは、間に挟まれて苦しんでいる私のこと。そこを理解してほしかったの。でも、それも私の小さな願いだし、エゴでもあるかもしれない。
ただ、三人の問題としたときに仮に相手が悪かった原因があったにしても、❝その事を気にしたり問題にするのは三人ともお互い自分❞だから、その自分が相手を問題にしちゃうエゴだけは無くしたいと思うのね。
④だから、お互い、これ以上関係が悪化しないためにも相手を悪く言ったり、変えようとすることだけは❝私もやめるからあなたもそれは無しにしてほしい❞。」と。
BMG「竹内まりあ」♪ケンカをやめて~♪
同じようにお父さんにも伝えてみるといいでしょう。
人間はエゴに気づけることで真の大人になれるのです。仲良くなりますように。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お返事有難うございました。何度も繰り返し読ませて頂きました。
確かに私にも変わって欲しいと言う気持ちがありました。
人にどうこうして欲しいと思う事がエゴなのなら、夫の取った距離を置くと言う対処方法は一番正しいのではないかと思います。
父や私の家族はまだ理解してくれませんが
問題は人にあるのではなく自分の心の中に作り出しているのですね。

もっと何度も読ませて頂きます。
具体的な回答を有難うございました!

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