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別居中の夫に会いたい

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有り難し有り難し 14

別居して2年。

毎月親の介護で帰省する生活が一年経ったある日、離婚したいと言われ、生活費を一切入れなくなりました。

貯金を崩しながらの生活も苦しくなり親の介護で帰省、実家で暮らすことになり、別居がスタート。

その間 夫は電話には出ず、メールでのやりとりのみ。離婚したいとメールが来るが、私は直接会いたいとメールで返事をする平行線。

復縁したいので、離婚したい理由を直接会って聞きたいです。

どうすれば会ってくれるのか、良い方向に進むのか教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

男女リスペクトの精神 まず私からという気持ちで

仏教の十戒を夫婦間に当てはめて説いてみますと次のようになります。
そういう生き方をすると結果的に異性から愛されるものです。
愛されキャラになりましょう。
1不殺生
相手を傷つける言葉や言動をしない。
2不偸盗
相手の人生・時間・モノを奪ってわがものにしない。
3不邪淫
男女互いにリスペクトし合う 不貞をしない。
4不妄語
ウソを言わない 真実の言葉を口にする。
5不胡酒
酒や薬、SNS、お金、名声、相手、欲に依存しない。
6不説過
相手の罪や過失を責め立てない。
7不自讃他毀
うぬぼれず人をバカにしない。
8不慳法財
相手にとって有益なことを与えることを惜しまない。
9不瞋恚
感情的にならない 人が嫌う言動・音声・表情・態度をしない。
10不謗三宝
DISらない ケチをつけない おろそかにしない

実はこの精神がどれ一つ欠けても夫婦というものはうまくいきません。
別居された理由をこれに当てはめて紙に書いたり、復縁されるのであれば清書して日々忘れることの無いようにいたしましょう。
ご主人にもそれを約束すると良いでしょう。

反対に言えば、
1やさしい愛を生み出す
2自分のものを与える
3パートナーを満たす
4ウソの無い素直な会話
5❝花❞のある生活
6赦し合うおおらかな関係
7謙遜とリスペクト 
8幸せへの投資 布施 施し
9穏やかなる精神
10讃嘆する
というルールは大切な夫婦条約ともいえることなのです。
これは仏教の十重禁戒をわかりやすく夫婦間においてあてはめたものですが、相手を幸せにするにはまず自分の心が穏やかに統治されていなければいけません。
現代生活の日常の中でと入り入れると次のようになります。
1あらゆるものを尊重し損ねない
2盗みをしない 無駄をなくす
3貞淑さを保つ
4ウソの無い生き方
5依存を持たない
6他人の過失を責めない
7エゴを鎮め すべての人を尊重する
8シェア 分かち合い
9怒らない
10世界を讃嘆 ラララ♪
こんな風になります。
いい生き方をすることは、相手からも必要とされるオーラが燦燦とにじみ出るのでしょう。
紅白歌合戦で美空ひばりさんの人工AI映像が出ていましたが、不自然で違和感がありました。感動して泣いている人もいましたが、私は恐怖と死者への尊厳を無くす冒涜にすら感じたものです。
やっぱり人は生きた愛が大事なのではないかと?

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ハッとさせられるお言葉の数々。
読み返せば読み返すほど思い当たることばかりです。
まずは別居された理由を当てはめて紙に書いてみます。
ありがとうございました。

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