いつも人からどう思われるか気になります
人からどう思われているかがいつも気になってしまいます。
現在学生なのですが、授業の中でグループワークをする時も、同じグループメンバーの顔色を見て発言をしてしまいます。
先日、人と待ち合わせをしていたのですが、私の勘違いで約束の時間より1時間遅れてしまいました。その時も相手が自分のことをどう思っているか、本当は怒っているのではないかと心臓がどきどきして相手に申し訳ない気持ちと嫌われていないかという心配で頭の中がいっぱいになってしまい、ふと思い出しては罪悪感を感じてしまいます。
心を許せる友達とはそのようなことなく過ごせるのですが、アルバイトや学校生活で初対面の人と話すときには必要以上に緊張して、嫌われないように細心の注意を払って接してしまい、1人になるとどっと疲れてしまいます。
他の人を見ているとみんな初対面でも社交的に会話をしてとても楽しそうに見えてしまって、自分がおかしいのではないかという気持ちになってしまいます。
どうしたらこのような考えから解放されてもっと社交的な自分になれるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
長くもって2分。カップラーメン以下と念じましょう。🍜
①まず、あなたが今誰かのことを思ってみてください。そしてその人に対する評価や判断を下してみてください。
②その後、スマホでどこかのサイトでなりSNSをのぞいてみましょう。
③テレビでも見てみましょう。
④景色でも見てみましょう。
⑤さて、その人に対して思ったことや評価は「いつから いつまで」続いていましたか。
「どこで生まれて どこで消えた」でしょうか?
それが人間が「他人のことを思う」ということの本質であるということを悟りましょう。
人の評価や他人の眼というものはこちらが勝手に恐怖しているだけで、全部あの人がこう思っているのではないかという恐れを回避しようとする自分のネガティブ心理でしかありません。
あなたが人のことを憎んだとします。許せないと思ったとします。
ご飯食べている時や人と会話しているときはその気持ちは忘れています。
そういうものでしかないということを、反対の側から学びましょう。
そうするとSNSや人の噂話も人が人のことを悪く言ったり褒めたりすることも実にさしたることではありません。
「そういうものでしかない」と悟りましょう。
道元禅師はこのように説かれます。
Q人の評価が気になります。どうすればいいでしょうか。
A恥ずべきことがあるとすれば本当にこの人から指摘されたら恥ずかしいと思う人の言葉だけを恥としなさい。
「恥ずべくんば明眼の人を恥ずべし」
人生において本当に大切にするべき人は友よりも師匠です。導きの師匠です。
友は友であっても、本当に自分を向上に向かわせてくれる人であるかどうか。
縛られになっていないか、自分がその人のせいで100%の力を発揮できないとしたら友というより足カセに等しい存在です。
師匠でもなく、友達でもない人の言葉などというものは本当に参考にするべき「師」となる言でなければ気にすることなどありません。
組織や集団においては群れる気持ちがあるのであれば周りに合わせればよいのです。
自分は自分で単独で組織のなれ合いに染まりたくなければ堂々と空気を読まずに縛られずに足並みそろえずに発言すればいいのです。人生快適です。
でも気を付けてくださいね。
お友達はどんどん減ります。(笑)
私みたいな「孤立」する人間になっちゃいますので、思ったことは言えても敵は増えるばかりです。どういう人生を選択するかが任されているということなのです。