許せない人を許すということ
私には最近許せない人がいます。
その人のことをふと思い出してしまい
怒りと悲しみで眠れなくなったり
食欲がなくなったり
普段の生活でも無理して笑っている現状です。
もうこの人のことで悩んでも勿体無い
とは思うのですが
暇な時間が出来ると考えてしまいます。
そこで、この人のことを許せばいいのでは?
と思い、必死に許そうと努力しているのですが
やはり許せない部分が強くブレてしまいます。
許せない人を許す
とは
どのような心構えでいればいいのでしょうか。
一刻も早くその人のことに無関心になりたく
その人のことにエネルギーを使いたくないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怒りを慈悲の怒りへ
りく様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
許せない人は許さなくてもいい。但し、怒り、悲しみで苦しんでいる自分自身を許してあげてほしい。まず、自分自身を許して、それから、許せない人を許せていけるように調えてほしい。
許せない人は、本当に許せないですよね・・
しかし、その方がそのようになられてしまわれたのには、きっと何らかの悪い因縁(原因と条件)がございます。
その方だけが悪いわけではありません。仕方なくそのようになってしまっているのだと、お考えを頂きまして、少しなりとも怒りのお気持ちを和らげて頂けましたら有り難くに存じます。
もう一つの方法としましては、もしかしたら、その方は、前世、過去世にて大恩ある母、または父だったかもしれないとして、憐れみの思いを少しなりにもお掛け頂くことで、怒りを鎮めるという方法もございます。
あるいは、更に、まさに怒りを起こさせる者がいてくれてこそ、「忍耐」という修行、「慈悲」を滋養できる修行をさせて頂けるということで、有り難い、尊い存在として扱えるように調えるということにて、怒りを抑えるという方法もございます。
りく様は、不動明王様をご覧になられたことがあるでしょうか。
激しく怒っておられるようにみえる不動明王様の怒りというものは、慈悲の心にて、何とかして迷い苦しんでいる全てのものたちを救おうとされている怒りでございます。
もし宜しければ、その「怒り」を、そのようなことをしてしまう者に対する憐れみとしての「慈悲」の怒りへと変容させて頂けましたら、誠に有り難く、尊いものとなります。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
慈悲の怒りですね。。。
難しい考え方ですが少しずつでもチャレンジしようかとおもいます。
まずは自分を許してみることから初めてみます。
怒りにも種類があるとは思いませんでした。
不動明王様、慈悲の怒りであのように怒った姿をしてらっしゃるのですね。
見方か変わりました。
ありがとうございます。