因果応報はありますか?
因果応報ってない気がします。
悪いことをする人は、要領よくいじめて、ごますりをして、上手に生きていく。
いじめられる人って、悪いことを考えれない人だと思います。目をつけられていじめられる。精神が病んでしまって、生きていくのもしんどくなる。
わたしは、後者です。人に対して、悪いことはしたくないと思って生きてきました。ただ世渡り下手です。他人からありえないいじめを受けて、精神的に病み、自分が嫌になりました。悪いことする人の方が得するし、いい世の中だな、別に因果応報ないし、自分は損だな、惨めだなとも思いました。
今の解決も必死で考えています。でもいじめは、心の傷にもなるし、本当にしんどいです。それでも、生きていたらいいことはありますか?早く楽になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずはご自身の幸せをお考えください。
因果応報があるかないかの前に、
愚僧な御縁のあるあなたに、
お幸せになっていただきたいです。
因果応報は、
善因善果
悪因悪果
よい行いで良い報い、
悪い行いで悪い報いです。
いま一時何事もなく、
うまく過ごしているように、
見えますが、
本当にそうでしょうかね?
アリとキリギリスという童話が
あります。
アリはコツコツ働いて、
一生懸命に働きます。
散々馬鹿にしたキリギリスは、
冬に食べるものがなくなり
餓死しそうになります。
ある話は、
自業自得だと食べ物をあげず、
キリギリスは餓死します。
別な話は、
哀れに思って食べ物をあげて、
キリギリスは生き延びます。
さてあなたはどっちですか?
愚僧なら助けますよ。
仇に恩で報いる。
人生は何が吉で
何が凶かはわかりませんよ。
嫌な相手を憎しむ気持ちは、
わかります。
しかしその憎しむ気持ちは、
それは闇じゃないですか?
どんどん気持ちが
落ち込みませんか?
逆効果ですよ。
まずは、
身近なひとたち、
ご両親はじめ、
皆さんに心の中で、
御礼を言う。
ありがとうございます。
本心でなくとも、
とりあえず言って見ませんか?
善因善果
悪因悪果なら、
あなたが言い続ければ、
あなたの人生は
よくなります。
間違いなくよくなります。
過去を振りかえっても、
もどることはできません。
ましてや前世など、
わかるはずもないのです。
それなら開き直って、
これからよくしていきませんか?
未来は変えられます。
変えるんです。
あなたなら変えられます。
人を裁くのは
神仏のみです。
私たちは裁判官、
つまり閻魔さまで
はありませんよ。
今生かされている自分を
感謝する。
あなたはあなたなんです。
生かされているのだから、
生き抜く
生きていくだけです。
あなたならできます。
きっと結果をだせますよ。
あなたの素晴らしい
未来に乾杯!
衆善奉行
拝読させて頂きました。
人に対して悪意を持ち、悪言を言ったり、いじめや嫌がらせ等の悪業をしたそのそばからすぐにその当事者には因果応報は発生しています。
悪いことはそれをした人の心や体に必ず残っていきます。心は悪に染まっていきどんどん自分自身をおとしめていきます。その罪が消えることは決してありません。そして悪意を思いついてそれをしたならば必ず誰かがそれを見ています。神様や仏様やご先祖様がしっかりといつでも見逃すことなく見ています。ましてそのような悪をしたことはした自分が一番身近で見ていますから決して消えることはありません。
普段はついつい忘れてしまうことはあるかもしれませんけれども、ふとした瞬間刹那刹那で必ずよみがえってきます。
自分の命が終わる時自分の人生が走馬灯のようによみがえってきます。その際様々な方々からされたことや様々な方々へ自分がしたことが鮮やかによみがえってきます。
その時自分がしてしまった悪業を深く深く後悔することになるでしょう。そんなときにはもう遅いのです。自分の力で反省も懺悔もできません、自分が傷つけてしまった方へ謝ることさえできません。
ただひたすら津波のような後悔の大波どす黒い罪悪が己の心に押し寄せてくるのです。あわてても遅いのです。ただ溺れ沈んでいくことしか自分にはできません。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉があります。
良きことをすれば楽が訪れ、悪いことをすれば必ず苦しみの中に溺れていくのです。
私達の毎日はただひたすら己の悪しき思いや行いを神仏やご先祖様に素直な気持ちで向き合い、ひたすら反省し罪を告白し懺悔し、悪をなさないように善きことをするように心がけていくことが基本です。
仏教とは七佛通誡偈というお経にあるように
諸悪莫作(しょあくまくさ) もろもろの悪いことを作らずにせずに
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) もろもろの善いことをすすんで行い
自浄其意(じじょうごい) 自らのこころをきよめていくこと
是諸仏教(ぜしょぶつきょう)それがもろもろの仏の教えなり、つまり仏教の教えです。
いかがでしょうか。
因果応報ならば
因果応報があるなら、今のあなたの苦しみは、あなたが前世で行った罪業の報いだと思いましょう。
仏教は、他人を恨む教えではなく、自分自身の煩悩と向き合う教えなのです。
あなたをいじめた人々は、いずれその報いを受けます。
それは、来世で虫に生まれて誰かに踏み潰されるとかかもしれませんね。
質問者からのお礼
願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。
前世の罪となりますと、先祖等を恨みたくなります。今までは、自分の煩悩と向き合いながら生きてきましたが、今回ばかりはあまりに精神的にダメージを受け、しんどいのです。いち早く、いじめた方々が、虫になって踏み潰されることを願います。
Kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答ありがとうございます。悪いことをすると悪がたまっていくのですね。だから悪いことをしてはいけない、できるだけ良い行いをして、死ぬ間際の振り返りの際に、生きていてよかったと死んで行けるのですね。私は、他人が悲しむ姿を喜べるような人間にはこの先もなれそうにないので、悪いことが出来ないと思います。でもそれでは、損だと思っていましたが、そうではないですね。これからも悪いことを考えない自分に自信を持って、できるだけよい行いをしていきたいと思います。
花山雲吉様
ご回答ありがとうございます。ありとキリギリスのお話、私も後者で食料に余裕があるのなら分け与えたいです。キリギリスは反省と後悔をしてると思うので見殺しにはできません。
自分の受けたダメージばかり気を取られてマイナスの方向へ向かっていました。毎日どんよりとした気持ちで過ごし、そのことばかりに気を取られ、周りへの感謝の気持ちが薄れていた気がします。今日から常に感謝をするように心がけたいです。
生かされている間は生きて生き抜いて、できる限り良い行いをして、そうすることによって良い方向に向かっていけると自分を信じて、自分にとって良い人生になるように未来を切り開いて行きたいと思います。