宗教の悩み
(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています。)
私は今宗教が理由で自殺したいと考えるぐらい精神的に苦しい状況です。
私は生まれたと時(亡くなった祖父の代)からある宗旨でした
現在は27ですが今まで色々葛藤はありながらも朝夕熱心に信心してきました。
しかし色々な事があり(話すと長くなる)世間一般のような無宗教で普通な人のように生きたいと強く思うようになりました。周りの人をみると羨ましくも思ってしまいます
祖母にはやめた人を今まで見たけどろくな人生をおくったひとはいないとかやめたら必ず罰があたると言われました
実際に私のやめた人や知ってる人でもみな癌や重篤な病気で早くに亡くなっています。
お寺の住職にはやめると家族が積んできた功徳を全て無にし家族とも縁をきることになると言われました
宗教をやめるということは大きな罪なのでしょうか?
やはり自分もやめるとそのような末路になり不幸になるのでしょうか?
死んだら地獄に落ちますか?
もう頭の中が宗教の事や恐怖心や罪悪感でいっぱいで生きるのも辛いです。
謗法とか気にせず普通な人生を送りたかったです。
信者からすればこんなありがたい御信心をなぜやめてしまうのかとか言うと思います。
そうやって言われるのも苦しくなります。
ホームページや御利益体験談などをみるとこの宗教がものすごくありがたいみたいなのです
癌が消えたり不治の病が治るとか、だが信行を怠ったり疑いの心を持ったりすると体が悪くなったり怪我をしたりして信心を起こさせるためにお罰を下さったとか。
この宗教が正しければ正しいほどやめることへの恐怖心がとてつもなく大きいです
またこの宗教は功徳も大きい分罰も大きいと思いこんでしまっています。
だから今まで熱心にしてきた分やめることへの恐怖心や罪悪感などがどうしても忘れられません。
それでもやめて忘れてしまい周りのように普通に生きたい、でもやめたらろくな人生を歩めないかもしれない、この家に生まれた以上信心(家の仏壇やお寺との関係)を相続していかないといけないとか色々毎日考え頭の中が錯乱し何をしても楽しくありませんし生きた心地もしなく現在は精神安定剤を飲んでいますがもう限界がきています
できれば忘れてしまい前向きに生きれる方法はないのでしょうか?
今後やめたとしどのように実家と付き合いどのように生きていければいいのか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分が本当の自分になる時が来たのです
はじめまして。ご相談拝読しました。
よく勇気を出してご相談してくださいました。辛かったですね。苦しかったですね。
物心がつく前からのその宗教の環境におられたのですから、もうすでに今のあなた自身の形成にその宗教の影響は大きくあります。そこから脱しようとするのは自分が自分じゃなくなるような恐怖があることと思います。
でも同時に、このままの自分でも本当の自分ではないような気づきが自覚されてきたからこそのこの度のご相談なのだと思います。
宗教が正しい正しくない以前に、人間が苦を感じるということは人間存在に根本的な問題があるとみるのが仏教です。
ですから「正しい宗教」というものがあるのなら、その人間の問題に向き合わせてくれるものがそうであって、そこに目をつぶって苦の原因を自らの外に見出し、迷いを助長していく宗教は私個人としては大変危ういものだと思います。
仏教は物事の道理をときます。道理とはいつでもどこでも誰にでも当てはまる法則であって、信仰の有無によって当てはまったりそうじゃなくなるようなものは道理ではありません。
病気になるとか、治るとか、いいことが起きるとか、悪い事がおきるとか、それはそうなる原因があってそうなるということであって、信仰の有無によって変わるわけではありません。
信仰の有無により物事の捉え方は変わったとしても、物事が起きる起きないということを信仰でどうにかすることはできないのです。
信仰は自分選ぶものです。選んだ先にはじめてその教えが自分に相応するかどうかの求道があるのであって、強制的に与えられるものではありません。
あなたは今、選ぶ時が来たのでしょう。それは勇気がいることです。生育環境からいきなり無宗教になるのがよいのか、ほかの拠り所となる教えを求めるのがよいのか難しいところがあると思います。
だからこそ、まずはここhasunohaで残さず疑問をぶつけていただきたいです。ここのお坊さんは誠実に答えてくださると思います。
信仰をやめるといっても脅したりしません。
まずはあなたの勇気ある一歩を讃えます。その一歩は大きな一歩です。またお待ちしています。
プライドの煩悩に酔っている
(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています。)
私たちには、欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩があります。煩悩は悩み苦しみストレスの原因になります。
プライドの煩悩のせいで、私たちは自分が素晴らしい、自分が最高だと思いたいのです。
お釈迦様の教えは、本来は、盲目的に信じるものでもなく、頭ごなしに否定するものでもないのです。
真理に納得すれば必然的に理解できる。
それが仏教の悟りではないでしょうか。
「欲・怒り・怠け・プライドは煩悩だ」
「煩悩は誰にでもあるが、煩悩は悩み苦しみの原因になるものだ」
「自分の煩悩には気をつけて、他人の煩悩には慈悲のまなざしで接しよう」
と念頭に置いておけば、その宗教を辞めても続けても、どちらでもかまいません。
宗教のせいで悩みが増えるのは本末転倒。
仏教は悩み苦しみを減らす教えであるはずです。
仏教徒がクリスマスを楽しんだり節分の豆まきをしたりと、他の宗教の儀式やおまじないの類を適当に楽しむのは、まぁどうってことありません。
執着しすぎるとストレスになりますが。