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亡くなった人の願い

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有り難し有り難し 15

お世話になっております。

いつも過去の中絶についての質問ばかりをさせて頂いていましたが、今回は広く亡くなった人の願い?気持ち?についてお聞かせ頂きたいと思います。

一昨年、去年と立て続けに私と主人の祖母が亡くなりました。生前は本当に良くしてもらって、大好きなおばあちゃんです。

特に主人の方の祖母は亡くなってからまだ4ヶ月で、頻繁に思い出します。ガンであっという間に亡くなってしまいました。

亡くなった人に対して、後悔の念というものは尽きなくて当たり前かと思いますが、もっともっと感謝を伝えたかったという思いでいっぱいです…。

しかし、祖母達や私の病気の為に産んであげられなかった赤ちゃんを含め、亡くなった人達は、私がもっと色んな事をしてあげたかったと嘆く事は、決して望んでいませんよね?

都合が良いかもしれませんが、色々してあげたかったと、そうやって思ってくれるだけで、十分だよ。ありがとう。と言ってくれると思いたいです…。

今まで回答を頂いた通り、自分を責めるような事は止めました。亡き人達が願う私になりたいです。

ハスノハのお坊様達のおかげで、仏教について学んでいます。もうすぐハスノハを卒業できそうです。

しかし友人にこのような話をしたところ、死んだら終わり。後悔したって遅い。そんなのは自己満足。など、ボロボロに言われてしまい、落ち込みました…。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

すごいです

ご相談拝読しました。

自分の思い中心の視点から亡き人の願い中心の視点へと、あなたのなかで大転換があったのですね!

これは本当にすごいことです。大きな大きな一歩です。

ご友人の言葉は余りにも心無いものであると思います。「死んで終わり」ではありません。ならば「あなたは死んで終わりになる様な命を今生きているの?」ということになります。

亡き人にもっとこうしてあげたかったという後悔は確かにあることでしょう。では生きてさえいれば本当に何かしてあげられたのか?というと疑わしい、それならば生死は関係ないのです。

死してはじめてその人の願いに気づく

ということがあります。それを受け取るならば人は死んで終わりではないのです。

亡くなった人の願いや気持が生きている人のそれと同じように確かめられるわけではありません。
それはどこまでもあなた自身の事実への目覚めとして確かめられるのです。

私が私の思いで「亡き人は満足している」と思い込むのでなく、「私が自分自身の姿に気付けたのは亡き人の存在のおかげだった」と頷くところに亡き人の願いを感ずるのです。

死んだらもう遅いならば、生きている間なら思う通りに相手のために何かできたのか、そう思うのは傲慢であると私は思います。

相手が生きていても亡くっていても、至らない自分であることには変わりがない、そこに目が向くかどうか。それを自己満足と言うならば、自分が相手のために何かしてあげられていると疑わないのも自己満足です。

亡き人の願いを確信する瞬間があって満足してそれで終わりという話ではなく、ず~っと亡き人の存在によって自分自身の在り方に気づかせ続けていただく、亡き人と共に生きる歩みが始まるのです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ありがとうございます!!

とても心にストンと落ちました。これからも迷った時は、お言葉を読み返して、心を静めたいです。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

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