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もう少しで死ぬか殺すか

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有り難し有り難し 10

いつまで抑えられるかどうかわかりません
最近頭の中で自分がどのような形で死ぬか、どのような形で人を殺すかをずっと考えてしまいます
自分は好きな事があってそれをするために生きてきたようなものでした
ですが最近、それをやる気力も無くなってきてしまいました
今までいくら頑張っても笑われ続け、馬鹿にされてきました
味方だと思っていた人も自己愛が強く、話を聞いている優しい自分によっている人ばかりでした その人たちは結局誰も行動すらしてくれませんでした
皆んな自分をなめています 失うものがないとは言いません しかし、自分が死ぬ時や誰かに危害を与える事を考えていると、正直とても痛快な気持ちになってしまいます
一時的な感情とかではないです 何ヶ月もこの状態が続いてます 今これを書いている時は落ち着いている状態です 頭では駄目な事だと分かってます 出来るだけ状況を良くしたいです ですがもうそういう事は疲れてしまいました どうすればいいですか


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

成長とともに

若いときはそのような感情があります。
大人になり、社会的にも色んな役割ができてくれば、理性が強くなってくるでしょう。
あとは、他人の評価を気にしすぎず、自分の人生を自分で楽しめるようになることが大切ではないでしょうか。
他人との優劣や勝ち負けを気にしないようにしましょう。
心は無常です。
心を瞬間瞬間ごとに詳細に観察してみると、ずっと同じ思考や気分が続いているわけではありません。
たとえば、靴を履くときは靴のことを考えている。その瞬間は、殺意等は消えているのです。
ただ、何かのきっかけで、自分で再びそのことを考えてしまうとき、途中で途切れていたことを忘れて、ずっと同じ気持ちだったように錯覚してしまうのです。
心は瞬間ごとに新しい。
そして、心の動きには、原因があって結果がある。
原因を変えれば結果が変わる。
そのように思って、心をプロデュースしましょう。
あと、自分の思考を客観的に見るために、何かを考えたり感じたりした後に、心の中で「…と、私は思った(感じた)。」とつぶやいて思考を結びましょう。
仏教では、私たちが抱く概念は実体のない幻みたいなもので、絶対的な真実ではない、執着に値しないと教えます。
「殺したい…と私は思った。」と締めくくる癖をつけましょう。

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有り難し
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質問者からのお礼

アドバイスありがとうございます。
本当にずっと辛かったのですが、感情についての考え方を読んで少し楽になりました。
いつものようにとても嫌なことがあった場合にこの事を思い出そうと思います。
ありがとうございました。

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