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お婆ちゃんの死

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去年、大好きだったお婆ちゃんが亡くなりました
亡くなる2、3日前に赤ちゃんできたよと報告に行ったのですが、お婆ちゃんは外出中で同居しているお婆ちゃんの娘さん(私からはおばさん)に伝え、お婆ちゃんにも話がいったようでした

でも、すぐにお婆ちゃんは亡くなりました
特に病気もなく元気だったので悲しくてなりませんでした

姉もいますが子供はいなく、なので私にできたことで安心して亡くなったんだねと言っていましたが、そうなのでしょうか?

私は妊娠中に離婚してしまいましたし、お婆ちゃんはよく思ってないかな?とか考えてしまったり

でも何より抱っこさせてあげたかった
見せたかった
それができなかったのが悲しいです

お婆ちゃんは、極楽浄土から息子のことも見てますか?
時々、息子連れてお線香はあげに行ってます

お婆ちゃんは、本当に安心したのかな?と考えてしまいます

お婆ちゃんが外出中で直接言えなかったのも哀しかったです

文章にまとまりなく、すみません


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

極楽浄土から見守ってくださっております

大好きなおばあ様を亡くされ、心よりお悔やみ申し上げます。

おばあ様は、スイ様にご子息様が生まれたことを聞いて、安心をされ、喜ばれたでしょうが、それが直接の亡くなった原因では、決してないと思います。命があるものは、いずれ尽きるときがきてしまう。いろんな原因があって、死という結果がございます。

私の父は一昨年、極楽浄土に往生いたしました。スイ様と同じで、つい最近私にも子供が生まれました。しかし、父が亡くなる前に孫の顔を見せてあげたかった、とは思いません。
なぜなら、それは当然今からでは叶いませんし、間違いなく私のことも子供のことも、極楽浄土から常に見守ってくれていると確信しているからです。子供が生まれたときも、まず仏様や父に報告いたしました。

おばあ様も、スイ様やご子息様のことを、極楽浄土から笑顔で見守ってくださっていると思います。お仏壇の前でも、お墓の前でも、伝えたいことをお話しされたら、きっと届きますよ。

子育て、本当に大変ですよね。頼れるものにはしっかり頼って、くれぐれもご無理がないようにしてください。おばあ様の願っていることは、スイ様やご子息様が、毎日明るく幸せな生活を送ることだと思います。おばあ様が見守ってくださっているので、無理せず少しずつ前向きに歩んでいけたらいいですね。それが一番のおばあ様孝行です。

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浄土宗の僧侶です。一緒に悩みましょう!
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「今を精一杯生きている」ことをお参りしながら、伝えましょう

 大切な方とのお別れは辛いですね。でも、人の命には限りがありますから、必ず別れの時はやってきます。

  私は28年間寺の住職を勤めております。さほど大きい寺では無いですが。600人近くの檀家さんの葬儀を行ってきました。個人差はありますが、ご高齢の方は何らかの持病を持っており、その持病が急に悪化してお亡くなられたケースは結構あります。大きな持病が無くても、高齢であればいろいろな器官が弱っており、「さっきまで元気だったけど、今見たら心肺停止状態になってました。」というケースも結構あります。長く入院したり介護施設で療養したりして息を引き取るのと、突然亡くなるのとでは、どちらが良いのか悪いのか単純には比較できません。

  直接伝えられなかったのは残念でしたが、御存命中にお婆さんに赤ちゃんが出来たことをお伝えできて良かったですね。きっと喜んでくれたと思います。そして、これから、あなたが一人の人間として、そして母親として、一生懸命生きている姿を見せて行くことが大事です。あなたの子供が成長する姿を見てお婆ちゃんは喜んでくれると思います。あなたが一生懸命生きている姿を見て、喜んでくれると思います。
  日々の生活の中で苦労することも多いと思います。母親だけで子育てすることは思うようにいかないことも多いかもしれません。でも、きっと、仏様の世界からお婆ちゃんは見守ってくれると思います。応援してくれると思います。

  大切な方に十分に恩返し出来なかったことを悔やむ方は、たくさん居られます。このhasunohaにもたくさんの質問が寄せられています。私はそんなにたくさん回答できませんが、幾つか回答させていただきました。下記の質問回答も参考にして下さい。
http://hasunoha.jp/questions/3663
http://hasunoha.jp/questions/2784
http://hasunoha.jp/questions/2360
http://hasunoha.jp/questions/1058

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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質問者からのお礼

頑張ってるねと思われるよう生活したいと思います
もちろん周りのサポートも借ります

見せてあげられるかなぁと思った矢先だったのでショックでしたが見守ってくれてると思い歩みたいと思います

ありがとうございました

「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

夫が急逝しました。

初めて投稿いたします。 私はうつ病を抱えております。 答えが欲しいというより聞いていただきたいのです。 今年の2月、長い間病と闘ってきた夫が急逝しました。 夫は若い頃から腎臓と心臓に病を抱えていて、40代で人工透析を受ける事となりました。 それも長期になってくると身体に負担がかかります。 不整脈もあって、50代後半には仕事に支障が出るほどに体調が悪化。 そうなると次は腎臓移植です。 しかし移植を待つ患者は多く、順番が回ってくるのはいつになるか。 そこで私は、私の腎臓を移植する事を夫に提案しました。 最初はとんでもないと固辞していましたが、やはり体の辛さに耐えられず、数年かかってやっと承諾してくれました。 このまま透析を続けてもいつまで生きられるか。 それなら私の腎臓を移植して生き永らえる時間を延ばせれば。 そして2020年4月、夫婦間生体腎臓移植手術を受けました。 しかし、ここから再び夫の苦難が始まってしまったのです。 入院中に様々な病気を併発し、退院できたのは2ヶ月半後。 元々筋肉質だった夫は痩せ細り、1人で歩く事もできなくなっていました。 しかし私は心配していませんでした。 元々楽天的で努力家の夫は、私がセーブしなければ頑張り過ぎてしまう人でした。 ところが今回は違いました。 なかなかリハビリを始めない夫を私は叱咤激励し、時にはなじってしまいました。 今なら理解できます。 移植手術は思ったよりも夫の身体に負担を強いたという事を。 もう遅かったのだという事を。 移植を受けたため、夫は免疫抑制剤を常用しなければなりません。 世間ではコロナが蔓延していた時期。 ワクチンは都度接種し、外出時はマスクをし、手を消毒、帰ってきたら手洗いうがいをさせ、注意していたつもりでした。 しかし昨年末、夫がコロナに罹患してしまったのです。 最初はまさかコロナだとは思わず、年末年始という時期もあり、家で様子をみる事に。 ところが年明け早々呼吸困難に陥り、救急車搬送となりました。 そして入院から1ヶ月ほどで、突然心停止し、そのまま逝ってしまったのです。 私は今、悲しみと後悔の念に苛まれています。 私にはまだ実父と義母、そして飼い猫を見送るという役目が残っています。 それを終えたらもうすべき事はありません。 いつか仏様の元で亡き人々の冥福を祈りながら過ごす、それが今の私の願いです。

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夫が亡くなりました

昨年末に夫が亡くなりました。 結婚30年目の事でした。一度離婚して別居した事があったのですが、その後思うところあり再婚し、私は別居先で仕事を始めてしまったので、週末婚の状態で過ごしていました。 週末には必ず一緒に過ごし、買い物したり、ご飯食べに行ったり。 夏には私と一緒に別居している娘達と旅行に行っていました。 しかし、昨年は年頭から私たちがコロナに次々と感染し、更には娘が職場で怪我をする、更年期の私は外出もままならない、となり、一度も会いに行けないまま、年の瀬を迎えてしまいました。 しかし、年末恒例でいつも私が年越しの料理を大量に作って持っていくのが定番でしたのでそろそろ、と思っていた時に、同居していた息子から『父が死んでいた』と連絡が来たのです。 それからの事はあまりよく覚えていないのですが、自宅で亡くなったので警察に遺体を持っていかれ、家では会えなかった事、身内が殆どいなくなっていたので子供達だけで火葬した事、それまで全く泣かなかったのを覚えています。 ですが、今年になってからの半年は相続関係、遺産分割などで段々と主人がいないんだと思うと泣く、と言うより胸を掻きむしりたいくらい自分が悪女になったようでどうしたらいいのかわかりません。 主人はどんなに寂しかったろう、たった1人で冷たい部屋で最後にどんな思いで逝ってしまったのだろうと思ってしまいます。 私はどれほど酷い妻だったのだ、と泣く資格なんてお前にあるのか、と言われている気がするのです。今更遅いのはわかっています。でも、どうしたら主人に詫びる事ができるのでしょう。納骨もしなくちゃならないのはわかっていますがまだ、離れたくなくて自宅においたままです。生前から散骨希望ではあったけど、そうしたらもう本当に主人はいなくなってしまう。 一体どうしたらいいのかわからないのです。 夢にでも出てきて私をとことん罵ってくれればいいと思うのにたまに夢に出てくる主人は穏やかに笑って昔みたいに一緒に料理したり、キャンプしたりなのです。 亡くなった人と会話ができたらいいのに、と思うばかりで胸が苦しくてたまりません。

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亡き娘への自責と後悔が払しょくできません

以前に一度相談させて頂いております。 娘が病気で亡くなったことは運命であったと理解しており、辛さ、悲しさは日々増しますが残された高齢の父を看取ることが私の使命と思っています。 そのような日々の中、私の中でどうしても払しょくできない自責と後悔の念があります。 娘の病気が発覚した当初から私の役目は娘が最後の最後まで楽しく前向きに生きれるようにする事だと考えていました。最初に主治医にお願いしたことは、『娘との最後の会話は「今日はゆっくり休もうね。明日になったら元気になるからね。お天気だったら公園に行こうね。」と言って見送りたい』でした。 闘病中は病気の重篤さを悟られないように、治るんだと思えるように、私なりに努力しました。 しかし肺に転移した腫瘍が増悪し、最後の3日は病院で鎮静が必要な状態でした。娘は仰向けになる事ができず、ベッド上のテーブルに突っ伏して半分寝て半分起きているような状態で右に左にふらふらして本当に辛そうでした。 この時点で鎮静を多くして娘の苦痛を取り除いてもらうべきだったのですが、こんな状態でもまだ私は娘の死が間近であると認識していませんでした。 ふと、トイレに行くのは苦しくなるのでオムツにしてもらわなければ、と気づき、看護師さんにお願いしようと思った矢先に娘が「おしっこしちゃった」と息も絶え絶えに訴えました。私は「やってしまった。最後に失敗してしまった」と思いました。苦しい思いは絶対にさせまいと誓って頑張ってきたのに。 娘を私に寄りかからせて看護師さんにパジャマをハサミで切ってもらい何とか着替えさせました。すると娘が「もう死にたい」と私の耳元で一言いったのです。10歳にも満たない娘に「死にたい」と言わせてしまった。最後の最後で私が気付くのが遅れて苦しい思いをさせてしまった。すぐに鎮静を多くしてもらい、娘はやっと仰向けになって眠れるようになりました。その後目を覚ますことはなく、翌朝早くに亡くなりました。 病院側から残り僅かであると一言あればもっと早くに苦痛を取り除いてあげられたのに、とも思いますが、最後まで意思の疎通をさせてあげたいという善意だったと理解しています。気づかなかった親の私の責任です。 楽しくお浄土にいると言われても、この世の最後の言葉が「もう死にたい」であった幼い娘の気持ちを考えると、自分自身がどうしてよいか分かりません。

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友人の死と虫

友人の携帯から友人の妹より、訃報が届きました。 その友人とは高校が同じで1つ上の学年の先輩で、容姿端麗でとても目立っていたので存在のみ知っていました。卒業後に、私の当時仲良くしていた同級生がその友人を慕っており、みんなを含めた場にも来たのが話すきっかけで、すぐに意気投合し仲良くなるのに時間はかからず、私や彼女の状況が変わり環境が変わってもお互いに連絡し合い、時間が空いても定期的に会える私の唯一の心からの友達の1人でした。 先月急に元気か気になり、1年ぶりに連絡をして毎日連絡を取りながら話が進み、彼女の自宅に行くことになりました。 彼女は占いやスピリチュアル的な事が好きで会うと自分の在り方や価値観をお互いに話す事が多かったです。当日会うと友人は前日にお付き合いしてる方とお別れしたらしく、体調もとても優れない様でした。その日は友人の家に泊まり次の日は温泉に行って解散しました。よく久しぶりに会うと、なるべくしたタイミングで引き合ったね。(私の名前)と会うと元気になれる。同志だ。前世は身内だったと思う。と笑いながらよく言ってました。わたしも同じくそう感じました。 その時に、今年の頭に卵巣嚢腫ができ腫瘍をとったら悪性腫瘍で癌だった事。抗がん剤はしない選択をした事を聞きました。根掘り葉掘り聞くことはなく、手術痕が化膿して喘息が出てると言っていたのでそうだと信じていました。また、温泉行こう。体調よくなったら温泉旅行行こう。と 会った日から丁度1ヶ月後に彼女は入院したらしく、私と毎日連絡を取りながらも一切そのことは言わず、亡くなりました。 いまだに信じられません。 今思うと相当体も辛かっただろうにいつものパワフルな彼女でまた会えるだろうと思ってた自分がとても愚かで、なぜこんなに人は簡単にこの世を去ってしまうのか。なぜ彼女が亡くならなければいけないのか。運命が敵に思えてきて、怒りさえ湧いてきます。 葬儀を終えて仕事をしながら彼女の写真を見たら涙が止まらなくなり感情が抑えられなくなりました。そうしたら、1匹の虫が私の目の前を不自然に飛んでるんです。何度も何度も何度も同じ文字を描く様に、目を凝らしてみても何を描いてるかは見えなかったのですが、1分程最後は丸を何度も何度も同じ場所をループして。その後は普通に飛んでいたので思わず彼女の名前を呟きました。彼女が来てくれたのでしょうか

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父を交通事故で亡くし、自責の念で苦しい

先月、父を突然の交通事故で亡くしました。 私たち家族が病院に駆けつけたときには、もう帰らぬ人になっており、最期のお別れを言うことも出来ませんでした。 仕事やプライベートに、いつも全力投球で忙しかったと思います。なのに、娘である私は気遣いが足りず、迎えに行くことも気をつけてねの連絡もしなかった。帰りが遅いこともよくあったので、その日も帰ってくると思っていました。命を助けられなかったこと、自責の念でいっぱいです。 まさかこんなにも早く別れが来てしまうなんて、夢にも思いませんでした。親孝行だってこれからたくさんしたかった。これからの人生、まだまだそばにいてくれると思っていたので、なかなか感謝の気持ちを言葉に出せず、冷たい態度を取ってしまったこと、後悔ばかりしています。 どれだけ痛い思いをしたんだろう、仕事だって志半ばでどれだけ悔しかっただろうと思うと心が押し潰されそうになります。独りで逝かせてしまった罪悪感で、何に対してもやる気が湧いてきません。 父の遺品を見たり、部屋に入るのも苦しいです。 もう二度と会えないことを実感していますが、私の心は事故当日で止まったままです。 叶わないと分かっていても、あの日に戻りたい。こうしていたら助けられたんじゃないか。そればかりずっと考えていて、仕事にも集中出来ません。 今は母のそばになるべく一緒にいて、自分が支えていかなくてはという思いでなんとか生活しています。 この先どうやって生きていったらいいのでしょうか。 父は心残りがあるのに、ちゃんと天国に旅立てるでしょうか。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

亡くなった父への悲しみと後悔

先日、父が急死しました。 1年前に肺癌を患い、手術で取り除いたものの、今年の初めに肺癌が再発しました。 3月から抗癌剤と免疫療法を受けていたのですが、抗癌剤と免疫療法のせいなのか介護が必要な状態まで体が動かなくなってしまい、急遽入院し、免疫療法を止めましたが、今度は肝臓の数値が悪くなってしまい数値回復の治療を受けていましたが、血便、血尿が続き血圧も低い日もありましたが亡くなるような状態ではなかったのに、先日、夜中に容態が急変して帰らぬ人になってしまいました。 こんな早くに別れが来るとは思ってなかったので、父を亡くした喪失感、看取れなかったこと、もっと連絡を取ったり会いに行けば良かったこと、治療も辛かっただろうからもっとしっかり支えてあげれば良かったと後悔ばかりで涙が止まりません。 亡くなった後、実家で父が生前書いていた 、定年後(今年の6月で定年退職でした。)やりたいことリストや母や私、家族に宛てた手紙も見つかり、きっとまだ逝きたくなかったんだろうなと感じたり、でも闘病も辛かったこと、治療が不安で怖ったことも書いてあったので、楽になりたかったのかなとも思ったり、娘として気がついてあげれなかった事、治療を止めさせてあげれば良かったのですが、止めたことにより転移、癌が大きくなってしてしまうことが怖くて言えませんでした。 長生きして欲しいと思い、自分のことしか考えてなかったので冷たい娘だなと自分を責めてしまいます。 父のことだからこんな姿見たら、心配で離れられないなと思ってしまうので、心配させないようにと思っているのですが、中々心と体がついていけません。 気持ちの整理や父を送り出すことどのような心持ちで過ごしたら良いのでしょうか。

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亡くなった父を追いたいと思ってしまう。

先週、大好きな父が不調を訴えてから僅か1ヶ月で急逝しました。 
58歳でした。あまりにも早く、只々呆然としています。葬儀は無事執り行いましたが私はどうしても受け入れられません。 また父の立場になって考えると悲しみや悔しさを想像してしまい、苦しくなります。葬式で、父は孫(私の子供)の動画を周囲の人に見せびらかせて自慢していたことが分かりました。父は、私と孫との未来を描いていた筈です。まさかこんな形で急死するなど、1ミリも考えていなかった筈です。父は何を思い死んでいったのでしょうか… ---父の最期---
 不調を訴えた父は病院で脳腫瘍と診断され緊急入院。検査結果が出るまで2週間かかり悪性のガンだと判明。 お医者様には腫瘍の場所が悪く手術は出来ないと言われ1〜2ヶ月の余命宣告を受けました。 入院中、コロナの影響で私や家族は父との面会が容易でなく、我々の知らぬ間に父は意識を無くしました。私たち家族が父の余命宣告を受けた時、父は会話できる状態でなかったのですが、聴覚や視覚がどうだったのかは不明です。父は入院して死を覚悟したのか、はたまた自分の身に何が起きたのか何も分からないままだったかもしれません。 病院の配慮で父との面会が自由になった頃には声をかけても反応は無く、父の想いを知る術なくお別れとなりました。 ---父への想いと今の気持ち--- 私は小さい頃から父が大好きで、学生時代も社会人になってからも悩み事は全て父に相談しました。父がいなければ今の人生はありません。 
そんな父が突然亡くなり、自分も父を追いたいと思う時があります。 唯一それを留めているのは娘のことがあるからです。 実は入院して1度、父から私に電話がありました。後から知ったことですが、この時の父は腫瘍のせいで携帯の使い方が分からなくなっていて、私に電話が繋がったのは奇跡だったそうです。 そして父は電話で「◯◯(私の名前)と◯◯(孫の名前)の為に生きている」と言いました。 ....私はこの言葉を父の遺言だと思っています。だからこそ私は父亡き後も生き、娘を育てなくてはなりません。父が私にしてくれたように、沢山の愛情を注いであげたいです。でも、どうしても父を想うと会いたくてたまらないのです。そしてもう大切な人が先に亡くなるのを見たくない気持ちから、次は誰よりも先に死にたいとすら思う時があります。

有り難し有り難し 5
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ