「よそはよそ、うちはうち」だけれど
“もともと経済的余裕がないのに子沢山な家庭”を見ると、複雑な気持ちになってしまいます。
子供の多い知人は「高校や大学の費用を準備しておく気はない」という考え方で、一層心に引っかかりました。
(自ら言うことではありませんが…)私ども夫婦は互いに悪くない収入があるものの、子供はあと1人(計3人)で終わる予定です。
特に都市部なので学校や習い事など何でも選択肢が多く、子供の希望を妨げないためにはある程度のお金が必要になるでしょう。
と言いつつ、本心では少し羨ましいのです。
先のことを気にせず、その日暮らしで何とかなるさ!子供に我慢させればいいさ!と割り切れるなら、私も子沢山な家庭を目指すと思います。
勿論よそ様のことですから、余計な手出し口出しをする気は毛頭ありません。
ただ、何となくモヤモヤしてしまう邪念を取り払いたいと願っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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整理をしましょう
はじめまして、こんにちは。
育児休業中とのこと、お忙しいことと存じます。
「モヤモヤしてしまう邪念を取り払いたい」と仰っていますが、全く邪念というものではないと思います。整理がついてないだけでは、と思いました。
・「よそ」の問題?、「うち」の問題?
小見出しの通りです。どちらの問題を考えたいのでしょうか。「よそ様のことですから、余計な手出し口出しをする気は毛頭ありません」のであれば、自分のお家の問題だけを考えたいのでしょう。そういうことでしょうか。
・子育てにどれくらいのお金をかけるかという問題
他者の子沢山の状況を「本心では少し羨ましい」という気持ちがある。その一方で子供には「ある程度のお金が必要になる」ので子沢山になると「子供の希望」についてその責任を果たせない可能性が出てくるので、子供をたくさん持つのは無責任な行いになりかねない、という葛藤をお感じなのだと思いました。よって、他者の「子供の多い知人は高校や大学の費用を準備しておく気はないという考え方で、一層心に引っかかりました」という感想になるのでしょう。お金のかけ方はオールオアナッシングではないでしょう。子沢山なりの妥協点を見出す事だって出来るのでは、と思いました。
以上のように整理して、自分の本当に焦点をあてるべき問題をお考えになられては、と思いました。
とはいえ、「先のことを気にせず、その日暮らしで何とかなるさ!子供に我慢させればいいさ!と割り切れるなら、私も子沢山な家庭を目指すと思います」という、みかんさんの思いを読んでいると、明らかに子沢山を目指したい、というお気持ちが強いように感じます。あとは、お金をどう計画してほどよい妥協点を見出せるか、そしてご主人とどうお話をするかという実際の面をこれから具体的に詰めていければ「何となくモヤモヤ」は程なくクリアになると思います。
どうぞお幸せに。
ご参考まで。
質問者からのお礼
ご丁寧にお答えいただき、ありがとうございます。
おっしゃる通り、子沢山に憧れる気持ちと無責任なことをしたくない気持ちの間で葛藤が残っているのでしょう。
現実的な落とし所として夫婦の結論は既に出ているはずなのですが、自分とは違う価値観(子供にあまりお金をかけないという考え方)に触れ、つい複雑な気分になってしまいました。
早急に決めつけず、将来3人目を産み終えてから再考するのもアリかな?と思いました。
(案外、もう子供は十分だ!と感じる可能性も高いですし)