気遣わないでというクソアドバイス
私は、お世話になっている相手、好きな相手にはいろいろしてあげたいと思います。
私自身、優しく親切な人でありたいし、相手に喜んでもらいたいのです。
なので、部屋に遊びにきた友達や恋人には、「部屋暑くない?」と聞いて部屋の温度を調節します。また、楽しんでほしいから、部屋をかなり綺麗にして、楽しく遊べるように計画を立てたりします。
会社の人に対しても、相手が困っているようだったら、多少私が忙しくても相談にのったり、助けていました。
あと、私は常に笑顔でいました。私が普通の顔でいると、機嫌が悪いように見える、近寄りがたく見えると何回か言われたことがらあるからです。
他人に親切にする+できるだけ常に笑顔のwコンボで、毎日頑張っていました。
しかし、わたしは親切にする度、周りから「そんなに気を遣わないでいいんだよ」とよく言われていました。その言葉を聞くたびに、辛くなりました。私としては、相手のことが好きだから、大切にしたいから、行動してるだけです。誰だってそうじゃないですか。
かといって、過剰にものをあげたり、尽くしたりしてるわけではありません。あくまで自分ができる範囲内でです。
なのに、なんでそんなことを言われなきゃいけないんだろうともやもやしていきました。そして、私が相手を思いやって気配りすればするほど、相手に気を遣わせるようになっていってるのだと思うようになり、どんどん辛くなっていきました。
そのうちにうつ状態になってしまいました。
今治療中です。療養中にも、「これからは人に気を遣わないでいいよ。常に笑顔でいなくてもいい」と言われました。
気を遣わないで、と言われても、私にはピンときません。だって、私は気を遣ってきたつもりはないからです。
なのに、気を遣わないで、という具体性をかいたクソなアドバイスを周りからかけられます。みんなからすれば、私は気を遣う小心者、自分に自信がないから媚びてるように思われてたということでしょうか。
気を遣ってないように見える、自然体で話せるような人になって、愛されたいです。
気を遣う媚びてる女と思われたくないです。
どうすれば、気を遣わないでと言われなくなるでしょうか?気配りを一切止めれば、解決しますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ちいさな親切、おおきなお世話。ちいさな感謝、おおきな慶び。
「気を遣わないで」は、日常よく使う言葉ですし
そんなに気にしなくていいのではないでしょうか。
文字通り、それこそ「気を遣わなくていい」言葉というか。。
『私としては、相手のことが好きだから、大切にしたいから、行動してるだけです。誰だってそうじゃないですか。』
いえ、それはそうは思いません。
本当に相手のことが好きなら、大切にしたいなら、
お相手のその、「気を遣わないで」という言葉も気持ちも
大切にしたいと思うのではないでしょうか。
なぜつらくなってしまうのか?
思うに
ゆゆさんは、相手の気持ちを大切にしたいというよりはむしろ、
ご自分の気持ちを大切にしてほしいのではないでしょうか。
「よろこんでもらいたい」とか、
「親切な人でありたい」とか。
それはそれで大事だと思います。
けれども誰もかれもが、ゆゆさん自身のその気持ちに
いつでも応えられるわけではないと思います。
嬉しくさせるために
喜んでほしいがために、は素晴らしいことですけれども
人によっては、「有り難い」というよりは
「過剰な期待」と受け取ってしまう人もいると思います。
それなら逆に、感謝のつもりでお相手に同じことをしてみてはいかがでしょうか?
なかなか難しいですし、相手に伝わるかどうか分からないです。
しかし、申し上げたように、
ゆゆさんの「喜んでほしい」という気持ちに
誰もが応えられるわけではありません。
人によっては負担が大きいです。
それよりはむしろ
ささやかな感謝の気持ちの方が、いくらかでも応えてくれる方が
いらっしゃるのではないかなあと思いました。
ご参考いただければ幸いです。
※私、個人的に一番きついと感じるのは
「おおきな親切、おおきな感謝」の
合わせ技一本だと思います。
南無釈迦牟尼仏 合掌
質問者からのお礼
吉井様
相手の気持ちより自分の気持ちを大切にしてほしいと感じられたのなら心外です。かなりショックでした。
ご回答ありがとうございました。