愛することと信じること
前回質問時に回答をいただきましたが、悩み続けお礼もしないままでいました。回答していただきありがとうございました。
妻と義両親と話を続けた結果、跡継ぎとして学び・修行する覚悟を決めて今年の4月からはお寺で暮らすこととなりました。
そのような状況の中、今年に入り1/1に妻の浮気と疑わしきことがあり、1/5に浮気が発覚しました。
妻は浮気したことに対して悪いことをしたと思っており、浮気相手を好きだと想う心に決着をつけて家族であり続けることを選んでくれました。
しかし、私に対して好意は無く気持ちは冷めているそうで、家族であり続けることに条件がつけられました。
一つ、私からの自発的なことですが、再び好きになってもらう為に努力を惜しまないこと。
一つ、妻が再び浮気・不倫をしてもこれを許し、相手を含め一切の責任を問わないこと。
一つ、今回の浮気相手と友達であり続けることを含めた人間関係や、趣味の活動などに対して制限をしないこと。
一つ、妻が離婚したくなった際は拒否せず受け入れること。
好意を失ったきっかけは趣味を通じて知り合った男性との会話が楽しく好きになってしまったことだそうですが、根本としては私の言動に小さなイライラを感じそれが積み重なった結果とのことです。
自分としては、妻の実家へ行く覚悟も自分の為ではなく妻の為であったことや、「ありがとう」「愛してる」といった言葉も伝え、妻の様子からも子育てのストレスによるところが多く、こどもが少し大きくなったら幸せになること間違いなしと考えていた為、ショックが大きすぎて冷静に考えることが出来ていないかもしれません。
質問の主題ですが、私は妻が浮気をした今でも、はっきりと愛しています。
しかし、前述の条件を聞いた時に、浮気された際に感じた裏切られたという想いもあり、私をキープした状態で、新しい旦那候補を探す為に浮気を許せと言っているのでは無いかと疑う心が抑えられず信じたいが信じられない状態です。
妻に訪ねると、「浮気するつもりで過ごしはしないけれど、今離婚しないならいつか再びそうなった時にあなたを待つ為に責められるリスクは背負いたくないから許せないなら離婚して。」と返されてしまいました。
こどもの為にも、と考えはしますが、浮気をほのめかす愛の無い妻の為に信じて努力すべきなのでしょうか。
叶うならば妻と幸せに過ごしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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へっ?
こんばんは。最初の質問も拝読いたしました。
仏教の観点から見て、この4条件には誤りがあると考えます。二番です。
これは不邪淫戒に抵触します。これを条件とするならば、「私が住職となり、妻は出ていく」でなければなりません。当然導かれる話ですが、四番についても、「離婚する際に出ていくのは妻である」です。三番も「ただし、家族に迷惑をかけない範囲で」ですが、まぁこれは言うまでもないでしょう。
最初の問答では、「それもご縁である」と思いましたが、あなたが覚悟を決めたのであれば、それに相応しい環境を作っていかねばならないと思います。
質問者からのお礼
自らの心の都合でのみ考えていましたが、父として、仏教徒として、住職として、様々な立場で考える必要があることを自覚出来ました。
妻は相手との関係を途絶えさせるつもりは無いそうですので、しっかり考えて話し合い結論を出したいと思います。
ありがとうございました。