愛されないのに努力する必要ありますか?
努力したって愛されないのになんで頑張らないといけないんだろ。
人はまず自分から相手を愛せというけど、私が与えてきたのが愛じゃないんならなんだったんだろう。
見返り求めるな?わかんない。
返ってきても受け取る器すらないのに。いつも不安で疲れる。安心したい、依存されたい。
私だって幸せになろうとした。
でも今は何もかもつまんなくて、人が幸せだとそいつら全員消えて欲しいです。
こんなはずじゃなかった。こんな人間でもなかったし、そんな人間になりたくなかった。
私のことは誰も見てくれない。私のことは誰も必要としてくれない。
やっぱり死にたいに行き着いてしまう…。
自己中になれる人が羨ましい。
自分勝手に人を傷つけられる人が羨ましい。
本当に死ねたらいいなと思う
どうしたら人を妬まず、人を愛せるんでしょうか?どうしたら私は幸せになれるんでしょうか?
家庭環境が悪く、母はヒスで毎晩父を罵倒したり私の遺書を破って冷たい言葉を吐いたり、息できないくらい踏みつけたり。不登校の時は酷い言葉を吐かれました。 母の愛を得ようと身を売って金を渡して愛を確かめてました。その時の客と生活。 幼少期は同級生からもいじめられ精神薄弱気味。神経質です。不器用な性格で常に愛に飢えています。恋愛依存やセックス依存を経て、空っぽな感覚を行ったり来たりしながら勉強や目標に向けて生きてます。小さな幸せや感謝を感じながら生きられるように日々精進してます。
欲望、期待や執着、怒り、寂しさ虚しさ。人と比べる。常に付きまとう恐怖心。見捨てられ不安。妄想癖。自己顕示欲。無気力。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは深い苦しみと孤独を感じているように思います。他者との関わりや愛に関する疑問や苦悩は、どんな立場にいる人も経験する感情です。自分自身が傷つき、孤独を感じているときに、他者を愛し、幸せを感じることは難しいかもしれません。しかし、自分が人を愛し幸福を感じるためには、まず自己を受け入れ、癒していくことが必要です。
他者に愛されるために「頑張る」ことが重要だと思われるかもしれませんが、自分を否定せず、自らを大切にすることが愛に繋がります。自分を受け入れ、愛することで、他者との関係も変わり、心の安定や幸福感を得られるかもしれません。他者への愛を求める前に、自分に対する愛情や大切さを感じることが先決です。
また、人を妬まず、人を愛するためには、他者を理解し、思いやりを持つことが大切です。他者や自分自身を慈しむ心を育み、自己中心的な感情や行動に立ち向かうことが必要です。そして、幸せになるためには自分が望む幸せの形を考え、自分自身を大切にすることも重要です。
自分を苛立たせず、あなたの心の声に耳を傾け、少しずつ前進して欲しいと存じます。あなたを応援します。合掌
尊重と敬意。
先に申し上げておきますと
私は誰からの愛も必要としていません。
私の愛を必要としている人もいません。
もちろん世間的にみて
いやあなたは愛すべき人がいるだろう、と言われればその通りだと答えますが。
それは表面的なものです。
そうではなく、お互いの根底にあるのは敬意です。
お互いに気に食わないこともあるわけです。
でもその人と私の間柄には、
その根底に尊重と敬意がある。
わざわざ愛と呼ぶようなものは
およそないのです。
どういう人たちの根底に尊重と敬意が佇んでいるか。
それは、悲しみを抱えて生きている人たちだと思います。
小指さんのような境遇を思い、ただただ涙する人がいる。
実際にいらっしゃるわけです。
同じような境遇の人が
どこかで涙を流している。
でも私はそういう境遇にもかかわらず
尊重と敬意を忘れない。
そんな生き方に憧れるんだ。
そんなふうに生きている方々がいらっしゃるわけです。
尊重と敬意を忘れない。
まずは自分自身に対して。
それから人に対して。
もしそれができたら。
これを愛と呼ぼう。
必要とされるかどうかは
二の次。
もっと大切なことがあると。
そんなふうに信じていただきたいです。
南無釈迦牟尼仏 合掌
手放せば手放すほど、愛されるようになっている。
小指さん
お悩み拝見させていただきました。
いつもいつも絶えず自分と葛藤しているのが痛いほど伝わって来ます。
「もう頑張らなくてもいい。」と前回お伝えさせていただきましたが、どうしても「頑張る」が根底にあるのでしょうね。
それほどに、これまで愛されたくて、幸せになりたくて頑張って来たのだろうし、
今もずっと頑張り続けているのだと思います。
本当にこれまでよく頑張ってきた。
小指さんが自分で自分と向き合うのが難しいのなら、誰かの力を借りても良いと思うな。誰かに思いっきり聞いてもらえるなら試してみたら良いかと思いました。
自分の頭の中で絡まった思考や、思い込みを一つづつ見つけて、癒し、解いていく作業です。これは中々自分では難しい。私もここぞというときは人の力を借りています。
人生って本当に不思議なのですが、手放せば手放すほど、愛されるようになっているのです。
頑張るのをやめて、努力するのをやめて、ありのままの小指さんでこの世界に存在したときに、沢山の人に愛されると思う。
私はね、人は誰しも愛の存在だと思っているから、
今は沢山の鎧を着込んで見えにくくなっているかもしれないけど、小指さんの根幹も愛だと思っています。
小指さんの心が少しでも軽くなり温かい光に包まれるようお祈りしております。
南無阿弥陀仏。合掌。
小指 様 相談ありがとうございます。
もう返答しているのに回答するのも変かもしれませんがお許しを。
私が思うに、人を愛そうとする時や愛を受けようとするとき、または愛し合おうとするとき、そして自分を愛そうと思う時、そんな時に同時に嫌な記憶、辛い記憶、母から愛されなかった記憶などがセットになって出てきているように思います。
幼い頃からの辛い記憶から出てきた、思い込み、器がないなどの信念のようなもの、心のブロックのような感じを、「癒す、慰める、なだめる、心が温まる」という体験を繰り返し、繰り返し、積み重ねたら、セット出てくる感情がコントロールできるようになると思います。
「癒す、慰める、なだめる、心が温まる」という体験は、やはりセラピストやカウンセラーなどの専門家を力を借りるのが私はよいと思います。
自分を責めず、批判せず、善悪の判断せず、自分の苦しみに気づき受けとめ、そして自分に思いやりを向けるそんなセラピーを探して受けてみてください。
あなたにはまだまだ、出来ることがあると思います。希望や夢もあるでしょう。
過去にどんなことがあっても、人は目標や目的に向かって歩むことが出来る。当然あなたにもできると思います。歩む時に人に頼っていいのです。力を借りていいのです。孤独にならないように温かさを感じるように、自分の為に、セラピーなどを受けて、幸せになってください。
参考にしてください。一礼
質問者からのお礼
愛の内訳がそれだとしても、私にはそれが難しいのです。
とてもとても難しい。
少しだけ考えてみます…。でもやっぱり死にたいかもしれない。
追記で返事をくださった御二方へ、また最初に返事をくれた方にも重ね重ねお礼を申し上げます。
たまには立ち止まって自分と向き合ってみます。自分を受け入れられるようになりたいです。
石森様いつも優しい言葉をありがとうございます。また自分でも気づかないうちにそうなってしまっていたみたいです。
少し、そういった愛されるという気持ちは他所において、別の形で表現したり交流できないか試してみようと思います。
こうして色々な方の意見を聞けるのも、有難いことなのだと思いました…。
皆さんの意見を咀嚼して、また心を整えたり考え直したいと思います。