親の死について
久しぶりに質問をさせていただきます。
転職と実家を売り引っ越してから約2年は過ぎました。
経済的自立と精神的自立を目指して1度は一人暮らしをと計画し親に打ち明け、まずは不動産屋にというところまで決まったのですが、ワクワクしていた筈なのに、寂しくて不安で仕方がありません。
少し距離を取りたいとまで思っていたのに、甘えて家族に依存し今が続けば良いと望んでいたのだと実感しました。
ですが不安はそれだけではなく、普段から考えない様にしていた親の死が急に身近に迫ってきました。祖母が死に、側にいたのが当たり前ではないと実感してから親の死について考え、気落ちし考えない様にと繰り返しながら先延ばしにしていた事が、家を出る為に動いた事で私の心を支配してしまいました。
一人暮らし計画を辞めてずっと家にいたい。でもそれは自身のためにはならない。親が存命のうちに試してみたい。でも離れる事が擬似的な死別に思えて怖くて仕方がありません。
未知の恐怖がそうさせるのでしょう。時間が解決すると思っていても胃の腑が冷えて体が震えて仕方がありません。布団から一歩も出れません。
心の調子を崩し不安感が常に付き纏う様になってから、前向きになる事が難しくなりました。考えも極端なものになってきました。
心をどのように保てば良いのでしょうか。ご教授頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
起きていない出来事に心を奪われずに。
今日は。
心からの不安などを拝見させて頂きました。起きていない出来事を思ったり、考えたりすれば・・それが、不安になり心配になります。大切な心をうばわれずに・・
過去に生きているのではなく、この瞬間を私たちは生かされています。今日と言う日予習も、復習なども出来ないたった一度きりなのです。私たちは、同じスタートラインに立ち、それぞれのストーリーを歩み、ゴールも皆んな同じく訪れます。
生きている意味などが今はわからなくても・・人生と言う長い冒険旅行を歩んで行くと、所々に生きるヒントがあります。そのヒントと言うパズルを合わせながら自分で描き、主人公を演じて自分自身も、運命も人生もいくらでも変えられるのです。夢も希望も捨てない限り逃げて行きません。
誰にでも大切な人との別れがあります。別れがあるから新たな出会いがあり、その別れから多くを学べる事と思います。この世には、当たり前ということはないんだ・・と、私は思っております。人として生まれ、この瞬間を生きているのです。今を大切に、苦しい時はずっと留まる事などはありません。季節や時間が過ぎるように留まらず動き出します。祖母様との”命の時間”を大切にされて、過去にとらわれずに、頑張るから疲れ、持続が出来なくなります。ほどほどに自分の心を大切に周りに合わせず、枠にはまらずに・・あなたらしく、歩んで見てください。
結果を急がずに、慌てずに、一つずつクリアして行ってあなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように、心から祈っております。
苦しくなった時に、いつでもここに来てください。
合掌
質問者からのお礼
永寛さま
ご回答ありがとうございます。今を中々見る事ができず、先のまだ起こっていない起こるかどうかも分からない、たとえ起こってもどうなるか分からない事に心が飛んでしまい不安になる事が多くままならず...ですが回答を頂き先を見過ぎずに少し今を見れた気がします。
苦しくなった時にまたここに来てもいいと仰って頂けてなんだか許された様なホッとした気持ちになりました。どうしてか退路を断ちがちなので...
回答ありがとうございました。