父親に愛されていないと感じます
私の父親は突然大きな声で怒り出し(きっかけは物を置きっぱなしにしたりなど些細なことです)夜中でも机をバンバン叩いて、一方的に怒られ会話になりません。せめて大きな声はやめてくれとお願いしても偉そうにするんじゃないと怒られます。
母親にはとても腰が低く喧嘩にはほとんどならないのですが、私と弟に怒るときは最終的に「誰が飯を食わせてやってると思ってるんだ」「育ててやってる親に向かってその態度はなんだ」「ここは俺の家なんだから勝手なことをするな」と幼い頃から言われ続けてきました。
母親にはさっき父親があなたに言ってたひどいことは本心ではなくいつもあなたたちを心配しているのよとフォローされます。
普段は差別的な発言がとても多く、自分の意見を曲げることは絶対にしません。テレビでタレントさんを見ればなんでこんな気持ち悪い人間が人気なんだとよく言って、人気の理由を説明しても意味がわからないの一点張りで家族を嫌な気持ちにさせます。わたしや弟の趣味は父親の興味の範疇ではなく、後ろから見て笑ったりバカにしてきます。
私が病気で辛そうにしていても遠目からチラチラ見ているだけで、悩みがある時も母親に任せてればいいと寄り添って話を聞いてくれたことはありません。
なので会話も楽しいと感じず、父の一方的な意見を押し付けられるだけなので私も弟も自然と母に依存する形となってしまい、特に私は不要なトラブルを避けるために会話を極力控えるように生活しているのですが、できれば家族4人で仲良くしたいと思います。
先日また些細なことで喧嘩になり、私の避けるような態度を指摘されたので、幼い頃から言われ続けてきた言葉がとても辛かった、お父さんから愛されていないと感じるから避けていると伝えました。すると父親は生まれた時から今まで子供が可愛くなかったことなんて一度もない、と言われました。
本当に愛されていなかったらもっと大きなトラブルや警察沙汰になって家庭崩壊していたと思うので、本気で愛されていないとは思っていません。発表会に来てくれたり、旅行に連れて行ってもらったり楽しい思い出もあります。しかし父親の支離滅裂な態度が辛く、大切に思っていたら今まで言われ続けてきた言葉も出てこないのではないかと疑心暗鬼です。
父親から受けた愛情より辛い言葉への気持ちが強く、愛されていないと感じる私は間違いでしょうか?
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愛し方が違います
こんにちは、はじめまして。
お父さんとの関係にお悩みですね。心が晴れないこととお察しします。
「父親は生まれた時から今まで子供が可愛くなかったことなんて一度もない」と言われたとのこと。これは、本人にとって全く嘘偽りはないでしょう。ただ、その愛し方は相手を自分のコントロール下において、猫可愛がりする意味においてです。だからあなたが口応えをすると、お父さんの言うところでの愛すべき対象ではなくなる為、本来の愛すべき対象へと補正してやろうとして激しい口調になるのでしょう。恐らく、この姿勢は今後変えるの難しいでしょう。
一方、あなたの愛するというのはどういうやり方をイメージしているでしょうか。文面では、「私が病気で辛そうにしていても遠目からチラチラ見ているだけで、悩みがある時も母親に任せてればいいと寄り添って話を聞いてくれたことはありません」というところから伺えます。相手の心身の苦しみを受けとめ、その苦しみを聞き、寄り添うと言うのがあなたの愛のイメージですよね。まず、相手から始める、それが愛だと。つまり、相手を無理矢理自分のペースに持ち込むということに、違和感をあなたは持っているのです。それは至って正常な愛の感覚です。
「楽しい思い出もあります」とお書きです。お父さんとの間に愛情があることは間違いのないでしょう。しかし、大人として別人格として成長されたあなたには、父親のそのままの愛を受け入れられなくなっています。
ここは居を別にして、正常な愛の感覚を失わないことが今後の為に必要だと思います。このままでは、支配と被支配の愛の形に飲み込まれることが心配です。
先ずは自分が心身共に自立し、正常な愛の感覚を育てた上で今後お父さんと向き合われてはいかがでしょう。その時にあなたは、お父さんとの違いを認めながらあなた流で愛することが出来ると思います。
ご参考になれば。
質問者からのお礼
はじめまして
ご回答いただき誠にありがとうございました。
お坊さんがおっしゃられた父の愛のかたちが「猫かわいがり」であると、
この言葉が私がずっと感じていた違和感に対して、とても腑に落ちました。
今まで父に怒鳴られるとき必ず「どうしてそんなにわがままなんだ」「お前は自己中だ」と言われ続けてきた理由も理解できました。
(もちろんわがままだったこと、自己中心的な考え方をしていたこともありますが、どうして毎回言われるのが不思議でした)
お坊さんからご指摘が合った通りのように、
寄り添い、苦しみを受け止めて、間違いがあれば正しい道へと導いてくれる、
私が欲しい愛情を母にはたくさんもらいました。
なので父にも母のような愛をずっと期待していたのだと思いますが、
私が求めていた愛の形とは違ったこと、これはもう変わらないこと、
心のどこかでわかっていたことではありましたがはっきり仰っていただけてすっきりしました。また、私の気持ちを「正常な愛の感覚」と仰っていただきありがとうございます。
仕事や金銭面、また現在病気の治療中であること、
また今までわたしはやはりずっとこの家庭が好きで、出ていくとしたら転勤か結婚を機に、と思っていたため、家族関係が理由の別居というのは勇気がいりますが、トラブルにならないように上手く距離を取り、家を出ることも少し前向きに考えてみようと思います。
正直もう父からの愛を愛として受け止めるのは私は難しいと感じているのですが、大人として、違う一人の人間の考えた方の一つとして受け入れられるように努力したいと思います。