強い承認欲求と完璧主義を捨てたい
はじめまして、こちらで初めて質問させていただきます。
あまり文章を書くことが得意ではないのでわかりにくいかもしれませんが、最後までお読みいただけましたら幸いです。
私はもうすぐ24歳になる会社員で、デザイナーをしています。
昔から私はとにかく「完璧」を求める主義らしく、
一つの事に没頭しずっとそれに向かい続けます。
以前自分が作った作品よりも、もっともっと良いものをと高みを目指し過ぎるあまり連日徹夜をしたり、プライベートの誘いをすべて断ったり、新たな素材を見つけるために数日間かけて取材にいったりなど...
言ってしまえば「自分の好き放題やっている」といった感じです。
その事自体はほとんど苦でありません。元々好きでやっている仕事ですし、作っている間は辛いですが出来上がったものを見たときやそれを納品したクライアントからの感想を聞いたときは、何物にも代えられないほどの多幸感を得られます。それはおそらく「自分が必要とされている」と肌で実感できたからだと思うのです。
小さい時から私は、兎に角誰かに褒められたい人でした。
勉強を頑張るのも、絵を上手になるのも、全部誰かに褒めてほしかったからです。学校に通っている頃は結果を残せれば誰かが必ず褒めてくれました。それに加え「順位」で自分の実力が見てとれていたのも私の承認欲求を満たす材料でした。
その承認欲求の強さが、私の元来の「完璧主義」に拍車をかけたのかなと思います。
今仕事やそれ以外のプライベートの対人関係でも、
「褒められたい」「一番になりたい」「注目されたい」「求められたい」という欲求がどんどん大きくなっていて辛いのです。
少しでも失敗したら幻滅される、良いものを作らないと見捨てられる、しっかりしないと誰にも相手をしてもらえない、一つのミスも許されないのだと、衝動的に自分をどんどん追い込んでしまうのです。
承認欲求を捨てて、完璧主義から脱却しよう!と抑え込んでも、逆に大きくなって余計苦しくなってしまいます。
本当に些細なミスでも、気づいたらこの世の終わりのように自分を責め立ててしまいます。
私はどうしたらいいのでしょうか。
この欲求や完璧主義とどう向き合っていけばいいのでしょうか。
生き方や考え方について、何かアドバイスいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どちらにしても苦しみはある
完璧主義者には完璧主義者の苦しみがあるし、怠け者には怠け者の苦しみがあります。
どちらに転んでも苦しみはなくならないので、今の生き方が好きなら、無理に変える必要はないのでは?
他人に迷惑をかけているなら良くないですが。。。
欲・怒り・怠け・プライドの煩悩は誰にでもあります。
完璧主義者にも怠けの煩悩はあるので、完璧を求めるプライドと手を抜きたい怠けがぶつかります。
煩悩は誰にでもあると認識した上で、「今は完璧主義者になる(集中する)時間」「今は怠け者になる(休む)時間」とメリハリをつけて、
仕事中は妄想雑念に気をつけ、
休憩中は仕事に関する妄想雑念を止めて別のことを考えるようにしてはどうでしょうか。
私達には、老・病・死が必ずやって来ます。
後悔しない生き方ができれば良いですね。