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四十九日の間

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亡くなると 四十九日までは、まだ側にいるとか、聞きますが どうしたら、存在を感じたり みることができるのでしょうか、、、


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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亡き人と「遇う」

ご相談拝読しました。大切な方を亡くされたのでしょうか…。

また会いたい、見たい、触れたい、感じたい…という願いは切なるものであると思います。

49日という期間はその思いと向き合いながら、亡き方とであい直していく期間であると思います。

亡き方とはもう生前同様にその姿形に会い、触れることはできません。亡き人が何か超常現象で存在を感させてくれたり、心に直接言葉でもって語りかけてくるということもないのでしょう。

では、亡き人と「遇う」とはどういうことか。

「会う」でなく「遇う」と書きましたが、生きている人とは会うことができます。亡き人とは「会う」でなく「遇う」のです。

「会う」とは会おうと思って会う。約束して会うなどの会う。
「遇う」とははからずも遇う。こちらの思いを超えて遇う。

亡き人と遇うということは、あなたの心を通して遇うこと以外にはありません。
でも、それは亡き人が直接心に声で語りかけたり、文字でメッセージを送るということでもないのです。

どこまでも、あなたの心における自覚を通して遇う。亡き人の存在した事実、命の終わりの事実…さまざまなことがらから問われ、促され、揺さぶられてくる。

時には不安として、時には寂しさとして、時には安心として、時には温かさとして…姿形を超えて声なき声を響きとして感じ、そして遇う。

はからずも、亡き人の願いや思いに触れるのでしょう。

「ああ、亡き人はこんな風に思っていたのだな、こんな景色を見ていたのだな、今私にこう願っているだろうな…」

探し求めれば「霊を降ろして存在を見せてくれる」とかいう人もいるかもしれません。でもそれは亡き人自身ではありません。ほとんどいかがわしいものです。
会いたいという思いに寄り添うような形をして、実は亡き人を利用してあなたから何かを搾取するような危険性もあるかもしれません。

49日の期間を通して、亡き方に手を合わせ、仏様に手を合わせ、仏様の教えを聞く事を通して亡き人の願いにも出遇っていくのだと思います。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

たくさんのお話 心に響きました。
ありがとうございました。

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