飴と鞭の折り合いの付け方
私は最近、自分に甘くなってしまいがちです。
というのも、この一年くらい前までは自分に厳しくし過ぎて情緒不安定な時期が続き、思考は常に生死の狭間にいました。
そんな時、《他人に頼る》ことでメンタルを回復することを学んだ私は、自分に甘くてもいいんだ。と思いようになりました。
しかし、自分に甘くすることを学んだ今、極端に怠惰な生活を送ったり、重要なのに嫌なことを先延ばしにしてしまう〔怠け癖〕がついてしまいました。
しかも、その怠け癖を死なないための自己防衛だと思い込んで逃げていた結果、ある物事において大きな失敗をしてしまいました。
なんとかして自分に厳しかった頃の私に戻りたいのですが、情緒不安定になることは避けたい!と、逃げようとする自分もいます。
そこで、いわゆる自分に対する飴と鞭の折り合いの付け方について、何かアドバイスなどありましたら教えてください。
わかりにくい文章ですみません。
助言いただけると嬉しいです。
自分が分からない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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問題解決には「過程」があるはずです。
>自分に対する飴と鞭の折り合い
なんとなくですが、完璧を求める方なのかな?と想像しました。(飴と鞭という両極端しか無いような?)
問題解決には「過程」があるはずで、その過程一つ一つを褒めるスモールステップをお勧めします。
100点取ったら大きなご褒美を用意しようとしないで、25点取れたら自分に小さいけれど魅力的なご褒美を上げるイメージです。そうすれば100点取るまでに自分を4回も褒めてあげられます。
その為には、怠け癖を知らなかった過去の自分を捨てて、怠け癖のある自分を認める事から始めるべきだろうと思うのです。
人間は変わっていきます(怠け癖を知った)、そして過去(知らなかった頃)には戻れない。でも、(より状況に最適化された自分に)変わっていけます。
逆説的ですが、「私は怠け癖があるのにこれだけ頑張った。」と自分を褒められれば、少なくとも怠け癖の最中よりも頑張ることができるのでは?と考えます。
お檀家さんに女性一人で飲食店を経営している方がいらしてお話を聞いたことがありますが、一日の終りに風呂に入ると必ず自分の肩を両手で抱いて「今日も一日頑張ったね」と言ってあげるそうです。しんどい時、頑張った時、自分を褒めてあげられるのは自分しかいない時があります。一日生き抜いただけで偉いと自分に声掛けをしてあげて下さい。
以下、注意点です。
死を考える時に助けを求める相手(セーフティーネット)を構築すべきだと思います。
>死なないための自己防衛
こういう側面を「飴」とは言いえず、どうにもな時は頼るのも一手です。(「緊急避難」が必要になる事もあります。)
>《他人に頼る》ことでメンタルを回復
頼る事=悪ではないですが、「依存症」と言われるような「頼りすぎ」の状態になる事は避けるべきで、頼り頼られが健康な姿だと思います。
老婆心ながら、《他人に頼る》とされていますが、恐らく頼ったのはご友人やご家族という「貴女にとって大切な方々」ではありませんか?頼ったら感謝を伝えないと今後の関係が破綻しかねません。「あの時はありがとう。」と伝えて下さい。ここから健全な関係が始まると思います。
また、「本当の他人」に頼る事もできます。
日本臨床心理士会(http://www.jsccp.jp/near/)や「いのちの電話」「hasunoha」など自分なりのセーフティーネットを構築してみて下さい。
質問者からのお礼
確かに、私は自分でもプライドが高すぎるなと時々自覚することがあります。
出来ない自分に嫌気が差すことも多い気がします。
まずは、出来ない自分をしっかり認めて、勧めていただいたスモールステップを試してみたいと思います。
ありがとうございました!