中絶しました
私は大学生です。
約2ヶ月前に今お付き合いしている彼との間に子供を授かりましたが中絶をしました。
両親やお付き合いしている彼と何度も話し合い中絶を決断しましたが、中絶手術を受けた日から後悔をしています。
母には、「今回産むことは出来なかったけど、あなたのお腹に赤ちゃんが宿ったことは必ず意味があるよ。その意味が今は分からなくても必ず分かる日が来るよ。だから、今は辛いかもしれないけど前を向いて歩こう。」と言われました。母の言葉はわかりますし、前を向いて歩かなくちゃ赤ちゃんに申し訳ないと思うのですが、「やっぱり産みたかった、もし私が産むと決断していたら今頃どうなっていたんだろう」と後悔の日々が続いています。
赤ちゃんに会いたいと思うこともあります。
私が妊娠し中絶をしたという今回の出来事を、忘れたいと思ったことはありません。むしろ忘れてはいけないことだと思っています。
しかし、思い出すたびに後悔や罪悪感で胸が痛みます。
今回私が妊娠し中絶した出来事を忘れず、前を向いて歩くということはどういうことなのでしょうか。また、前を向いて歩くことはできるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
前に向く必要はありません
辛い経験でしたね。お気の毒様です。
さて、私は男性で、このような経験はありませんが、私なりの見解を述べさせていただきます。恐らく、出産しても別の苦しみが出てきたことでしょう。でも、どちらの選択をしても相手も同じです。あなたが妊娠した時点で彼氏も運命共同体です。今後葬儀、供養等を考えているなら、必ず彼氏も同伴させて下さい。その前の相談の時点で、その話しが出ていても不思議ではありません。年回忌もした方が良いと思います。
あくまでも私は僧侶として答えています。生命を中絶したのですから、その子との死とは向き合って下さい。あなたが前を向くか向かないか等と言うことは別問題です。
私の高校の同級生も彼女との間に子が授かりましたが、中絶しました。40代になった今でも未だに供養したいと連絡が入ります。だから男性は男性なりに罪の意識はあり、出来ることをするはずなのです。済んだことは取り返しがつきませんが亡くした生命と向き合う気持ちと行動は持って下さい。それを行った上で日常生活を健康に過ごして下さい。あなたが健やかにイキイキと人生を過ごさないと供養も出来ません。大学を無事卒業し、それなりの目標持って人生を歩まないと収入も無く、供養どころではありません。
周りの人達に対して親切に接し、一人一人の個性を尊重してください。それが生命を大切にすることにつながり、供養となるのです。
前なんか向かせません。脚下照顧 自分の足元がどうなっているか?常に考え行動して下さい。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
中絶後は、死と向き合おうとしていたはずなのにいつの間にか前を向いて歩かなきゃいけないんだとそこにばっかり意識が向いていたことに気づきました。まずは赤ちゃんとの死に向き合うことが大切ですよね。
彼は今回のことに対しとても考えてる様子が見られました。どんなことを考え、男の人がどう受け止めているのか分かりませんがそれももう一度話しながら彼と一緒に向き合うことから始めてみようと思います。そして、向き合いそれに伴う行動をしながら、供養ができるよう健康に過ごせるように励んでいきたいと思います。
時間が多少ならかかるかもしれませんが、供養ができるように日々過ごしていきたいです。
本当にありがとうございました。