夢にお地蔵さま
今年に入り飼っていた犬が急死し義理の兄が事故で亡くなりました。
たて続けに死と向き合った事で自分はどう生きていきたいのかなど漠然とですが考えるようになった矢先、私が延命治療を断った為に死んでしまった父が夢に出てきました。
父はアルコール依存性でしたが、夢では笑いながら楽しそうにビールを飲んでいました。
私はそんな父を見て、これ以上飲んだら死んじゃうから…ととても悲しくやり切れない気持ちになったのですが、その時夢の場面が変わりお地蔵様が出てこられたのです。
お地蔵様は、言葉はハッキリと思い出せませんがお地蔵様を祀る?ようにと仰られました。
しかし私は宗教に関心はあっても信仰はしてきておりません。
でも何かのメッセージなのではないかとずっと心に引っかかっております。
自宅でお地蔵様を祀るというような事はあるのでしょうか。
心に引っかかっていても、実際行動に移すとして何をどうしたらいいのか全く検討もつきません。
これをきっかけに信仰心を持つという事も考えてみたいと思います。
漠然としておりますが、お地蔵様への信仰は具体的にどのようにすればよろしいのでしょうか。
旦那より一秒でも早く死にたいと日々願ってますが、それは一人になるのが怖く寂しい、旦那がいなくなった後の生活の不安など全て自分中心な気持ちからくるものだと認識しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お地蔵様はどこまでもお救いに行くのです
初めまして、お早う御座います。
お地蔵さまは、この世に留まり錫杖をついて・・困難な方の所に行き、助けてくれるのです。そんなお地蔵様が私は大好きです。
きっと・・愛犬や義理のお兄様、お父様の様々な苦しみやしがらみだけではなく、あなたの苦しみや辛さを取り除きに来られたのだと思います。
生きとし生きる全ては、亡くなったら終わりではないのです。生前愛した人の心に霊魂が入って・・共に命の時間を過ごします。我慢せずに泣いて、想い出に共感をして過ごすのです。そして・・もう大丈夫とお互いに思った時、それぞれが新たな人生という冒険旅行を描き歩み出すのです。それが、四十九日ではないのかな・・と、病気で見取った妻や震災で失った彼女を見送って感じた事です。
お仏壇は、此岸(この世)と彼岸(あの世)と繋ぐ電話だとも思っています。純粋な祈りは、時空を超え・・ご先祖様や、愛した人やペットたちに届くのです。そしてその隣に現れて・・微笑んで応えてくれるのです。
春のお彼岸の時期、きっと・・私たちを忘れないで、しっかりとあなたらしく笑顔で二度とないこの瞬間という日々を過ごしてね!と気づきを与えてくれたのだとも思います。
お父様が大好きだった食べ物や、義理のお兄様が好きだった物、ペットが好むような食べ物をお供えして上げて見てください。お仏壇がなくても、テーブルの上に置いて上げてください。
私たちの身体には、何百年と続くご先祖様や父母の願いや想いが込められていて様座な繋がりがあります。過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間を生きています。ご供養とは、お金をかけて立派にすることではありません。純粋に祈る心が大切です。
そして、私たちが悲しみ日々を過ごす事を望んではいません。笑顔で日々を過ごす事を望んでいるのです。仏教は、抜苦与楽と言って、苦しみを抜き去り楽を与える為にあります。生きる為のヒントが沢山ある教えでもあります。
大切な気づきを与えて頂けたのです。それをプラスに変えて、無理なくあなたらあしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように、心からお祈り致しております。
お父様や、義理のお兄様、ペットさまに心から・・南無大師遍照金剛
合掌 礼拝
質問者からのお礼
読み返していて気づきましたが、そういえばお地蔵様が夢にあらわれた日は義理の兄の四十九日の法要の数日前でした。
兄とは実際に顔を合わせたことも無く挨拶もできぬままになってしまい悔いております。
周りの人達を大切にして生きたいと思います。
それが私の課題というか、最も学ぶべき事のような気がします。