離婚後の私の生きる道
はじめまして。
今回、この様な機会を与えられたご縁に感謝いたします。
地方の小さな会社を夫婦で苦労を重ねながら大きな会社に育てあげ、やっと…ゆとりを持ちながら穏やかに老後生活を送ろうかと思っていた矢先に離婚問題が起こりました。(原因は主人です)
30年余、会社や家庭の為に共に苦労をしてきた私に対して、主人は財産分与もあまり払いたくは無い,感謝も無い,謝罪も無い
。
有るのは主人に対して牙を向く(法的措置を取る)私に対して、憎しみ?しか無いという様な言動や対応です。
私は主人や相手の女性に対して恨みつらみはありません。
ただ…自分の30年間の人生は いったい何だったのか、なぜ?私ばかりがこんな目にあうのかと自分を責め苦しむ日々です。
突然 地位も名誉も無くし、自分がこれから何を生き甲斐とし生きていったらよいのか見つける事も出来ず、ただ漠然と日々を過ごす毎日で、こんな時どうしたらいいのか。
父親の毎月の月命日にお線香をあげに行く度に見守って欲しいと すがりつき涙を流しております。
こんな私にお言葉を授けて頂けたら嬉しく思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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より所を求める旅は、今始まる
こんにちは、初めまして。
さぞご無念でしょう。長年苦楽を共にした、唯一無二とも思ってきたご主人との関係が崩れることは、人生を足元から揺るがす衝撃となってあなたを苦しめているでしょう。そのお苦しいご心中を察します。
「私は主人や相手の女性に対して恨みつらみはありません」という文面からは、不本意でしょうが現実を受け入れようとしておられると感じました。「法的措置」はとっておられるようですから、あとは順当に財産分与と慰謝料をもらうことになるのでしょう。恐らく、生活の当面はある程度安心でしょうから、後は心をどう持っていこうかというお気持ちでしょう。
「地位も名誉も無くし、自分がこれから何を生き甲斐」にしていけばいいかと言われています。懸命に会社を生き甲斐として大きくして来られたのでしょうから、その立役者としての矜持はもって然るべきでしょう。いままで、大変お疲れさまでしたね。
しかし、これからはご自身が何を中心に生きていくかを再考すべき時にあるのでしょう。仏教では、その何を中心に、何をよりどころにすべきかというのは大きな問題です。諸行無常で変わり続けるもの、人の心、地位、名誉、財産により所を求めると、その度に足元をすくわれてしまいます。
だからこそ、その中心とすべきものは、不動であればあるほど安心なのです。私は浄土真宗ですから「南無阿弥陀仏」です。これは、「この阿弥陀如来をより所になさい、迷わせませんよ」という仏様の心です。不動により所を求めるからこそ安心が出来ます。
これは、私の一例を述べました。仏教に限らず、文化、芸術にも伝統的に受け継がれてきたそれぞれの「道」があります。こういったところに身を浸していくのも宜しいかもしれません。
あなたの真のより所を求める旅は、これから始まるのでしょう。
今後のご参考になれば幸いです。
お大事に。