幸せなはずなのにいつも死にたいです
はじめまして。私は幸せなはずなのに、なにをしていても常に死んでしまいたい気持ちでいます。
私にはたくさん友達がいて、仲の良い家族がいて、かわいい犬もいます。
大学生なのですが、アルバイトやボランティアと両立し、自分で言うのもどうかと思いますが成績も良く、充実しているはずです。
不満は1つもないです。
しかし、いつも死ぬことを考えてしまいます。
朝、目が覚めるとがっかりします。電車のホームで急行列車を見ると飛び込んだらどうなるだろうと思います。どのくらい食事を取らなかったら動けなくなるんだろうと考えながらご飯を食べます。
家族や友達と楽しく過ごしている時に、ふと私が居なくなったらどんなふうだろうと思います。
いつからこんなふうに考えるようになったのか、もう思い出せません。
私は優しくしてくれる人がたくさんいて幸せです。もし死んでしまったら多くの人が悲しむというのもわかっています。
それだというのに、ずっと死にたいのはどうしてでしょうか。
私は周りの人に感謝して生きるべきですが、どうしても死にたいです。
この気持ちを消すことはもうできないのではないかと自分では思っていますが、死にたいと思っていても、その気持ちと一緒に生きていくことはできるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【メメント・モリ】
"いつも死ぬことを考えてしまいます"
「死にたい」のとは違うんじゃない?むしろ、いつか死んでしまうという真実、しかもそれがいつどういうカタチで訪れるのかがわからない恐怖から逃れたくて、「死」に対して先制攻撃をしかけてやるぞといわんばかりに身構えてしまっているんじゃないかなー。
【メメント・モリ】(memento mori)って、ご存知?
死を憶え、いつか死ぬことを忘れなさんな、というラテン語です。
「死」って、どうしてもダークでタブーなイメージがあるわけですが、なんらかのカタチで死との戦い?緊張関係?を解消できた人というのは、いのちを軽んじたり粗末にしたり、あるいは単なる開き直りとは全く違う明るさと威厳が具わっているような気がします。
あなたの場合は、まだそこまで到達してはいないようですが、死を意識しながら、死を身近に感じなら生活する事は決して悪いことではありませんよ。これからも、しっかりと死を見つめて生活していっていただければ結構かと思います。
【何らかの方法で死の問題を解決した人の生き方は明るく美しい】ゲーテ
質問者からのお礼
ありがとうございます。
死にたいと思っても、死ぬことが怖いことかどうかは考えたことがなかったので、いま、ご回答を読んでとても驚いています。
先制攻撃というお言葉にとてもしっくりきた感じがしました。
死を身近に感じながら生活する事は悪いことではないと言っていただけて少し安心しました。
相談してよかったです。
ありがとうございました。