自死した友人に形ある場所で手を合わせたい
友人を亡くしました。
自殺でした。
私自身はなんとか心の整理がついてきている段階ですが、現場を見てしまった友人や、彼女の自死に自責の念を抱えて今も深く苦しんでいる友人がいます。
形のあるものに手を合わせられる場所を、その友人達は望んでいるように思います。
彼女にお墓や菩提寺があるのかどうかはわかりません。彼女との記憶を頼りにお墓を探した友人もいたようですが見つからなかったそうです。
私はご遺族の心労を思うとそういった詮索はしたくありませんし、今後関わるつもりもありません。
事情は割愛しますが、信仰していた宗派や葬儀でお経の依頼をしていたお寺は分かっています。
失礼かと存じますが、私は無学でこういったことには疎く、今も苦しんでいる友人の希望に近いかたちで弔いをさせてやりたいのですが、どうすればいいのかわかりません。
ご遺族には関わらないかたちで、葬儀でお経をよんでくださったお寺、もしくは同じ宗派のお寺にお参りを考えていますが、それが正しいのかもよくわからなくってきています。
不躾で申し訳ありませんが、ご助言をいただけますと幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切なのは、純粋な祈り。心です。
初めまして、今日は。
とてもお辛い出来事・・そのお心を思うと、私も辛いです。私たちの身体には、様々な繋がりや、願い、思い、先人の証が込められています。
私も、妻を病気により看取りその後・・ご縁があった方を東日本大震災で失ってしまいました。母の弟さんの二女さんも、生きよう・・もう駄目だ・・・と狭間に揺れて、追い詰められて16歳で命を絶ち空に舞って行きました。その後、祖母や後を追うように・・父も病気により看取りました。
頭では、いつかは必ず生きる全てが辿り着く場所という出来事を理解してはいますが、私は愛した妻を失った苦しみ、その後にこれでもか・・とあきれるほどに追い詰められた試練に負け、自ら私自身もその、狭間を行き来して・・命を絶とうとしました。蘇生をされて今があります。
人生や、運命、そして自分自身はいくらでも変えられます。リスタートが出来るのです。人間として生まれて来る事は奇跡に近い事です。そして、私たちは過去でもない、訪れていない未来を考えるから・・それが不安や心配になってしまう。その未来ではなく、二度とないこの瞬間と言う今をあなたらしく生きて欲しい。この言葉は、震災で亡くなった彼女が残してくれた言葉です。
純粋な祈りは、時空も超えると思います。ご先祖様、愛した人、友人・・全てに届きます。お仏壇がなくても、祈った瞬間・・側に現れて、笑顔で応えてくれるのです。
お亡くなりになられたご友人さまは、しがらみや苦しみ、辛さ・・全てから解き放たれています。誰も悪くない・・責めてもいません。辛い思いをさせてしまったことに申し訳がない、ごめんなさい・・そう、伝えていると思います。
大切な気づきや、ご友人様からの託されたものがあります。今は、命の時間と言って、共に思いを共感して、我慢せずに泣いて過ごして・・・お互いが、もう大丈夫と言った時、ご友人様もあなたも、それぞれが新たなストーリーを歩み出すのです。今は大切な人やあなたの心にご友人様が寄り添っています。泣いた後は、ゆっくり笑顔と自分らしさを取り戻して、ご友人様の分も仕合せに描いたストーリーを歩んで欲しいと願っているのです。お寺は開かれた場所です。お参りに行って手を合わせて頂いて何も問題ありません。あなたの想いはしっかりと、ご友人様に届いております。
ご友人様に心から・・南無大師遍照金剛 合掌 礼拝。