パートナーを巡る競争、性淘汰について。
失恋というのは、
この世界が壊れているか、あるいは、狂っているかどちらかの証拠なんじゃあないかと思ったりするんです。
こちらから一方的に恋心を抱き、憧れていたあの人が、、、知らない、誰かのものになってしまう。
目の前で、横目で、噂で、儀式で。
お互いがお互いを望み合い、憧れは枯れ果て、もう、永久に、帰ってこない。
恋愛というのは極めて排他的であることは自明なことで、それは恋敵や第三者を蹴落とし、望みを絶ち、世界が終わったかのような激痛や錯乱を負わせることでしょう。
アイドル声優が結婚したというニュースで、その人のCDが割られたそうです。
誰々が妊娠したと言うニュースが目に付けば、独身者は置き去りにされたという気持ちになる人もいるでしょう。
流行りの歌やテレビドラマは脅迫的なほど色恋沙汰を賛美しています。
ここまで読んでどう思いますか。全くその通りか、やはり、色眼鏡をかけすぎているのか。
無職(統合失調症の診断を受けている、無年金) 家族は花瓶にさしてある百合 性格は攻撃的だと自覚してます。 この国からひとりきりで出てゆきたいです。 黒い服ばかり着ています。 黒い服が落ち着くからです。 劣等感があります。 実際に就職面接の場面で差別されたり、疎外されたり、悪い意味で特別扱いされたりしていると自覚しています。 哲学や宗教をかじっているので素人ではないと思ってください。
欲望、日本語への依存を辞めたい 執着、この国から出てゆきたい 怒り、毒親 長期入院、独房、身体拘束の強制、それに伴い時間・若さ・機会を奪われたこと 利害・快不快がなければ何もしない他人
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
交尾の相手を探すだけでよい
人間以外の動物にとって、恋愛は、交尾の相手を探すことです。
子孫を残すために。
だから、手の届く範囲で相手を探せばそれで良いのです。
遠く離れた場合にいるアイドルとは交尾できませんからね。
仏教では、私たちが頭の中で考えた概念・観念は「空」「無我」であると説きます。実体がない夢か幻みたいなものだ、執着に値しない、という意味です。
恋愛についてあれこれ概念で飾りつけても、それらの概念は、執着に値しないのです。
難しく考えなくて良いと思いますよ。
たしかに、野生動物の世界でも、恋愛はライバルとの競争です。
それは仕方ありません。
自分の遺伝子を残すために競争することが、種全体の進化に寄与します。
落ち込んだり悩んだりする必要はありません。
恋愛は、人類を進化させるために「本能」が仕掛けたペテンなのかも。
追記
恋愛なんて所詮はその程度のもの(原始的な衝動)だと思って、恋愛の夢・幻に踊らされないようにした方が良いでしょうね。
つまりは、適当に恋愛すればよい、必死で悩む必要はないと思います。
質問者からのお礼
(編集部より。規約により一部投稿を変更しています。表現にご配慮ください)
すいません。
あの、「自分の遺伝子を残すために競争することが、種全体の進化に寄与します。」ってそれこそ野蛮な原生生物だと思うのですが。
失恋の激烈な精神の痛みや苦しみについて語っているのに、それをむしろ煽ってますよね。
こういったどうしようもなく理不尽な競争を鎮めようとするのが仏教なんじゃないんですか。
生老病死のループをむしろ、あなたは肯定しているんですよ。