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妙法蓮華経の天台宗での読誦についての質問

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有り難し有り難し 5

妙法蓮華経の天台宗での読誦についての質問があります。
日蓮宗諸派では、方便品、如来寿量品、如来神力品、普門品を主に唱えて、他の品も時には読誦するようですが、
天台宗では方便品、如来寿量品、如来神力品、普門品以外で
読誦することがある品は何があるでしょうか?

また、妙法蓮華経を理解するには、どの品が一番重要でしょうか?
二番目の質問では天台宗諸派や日蓮宗諸派の僧侶にもできればお聞きしたいです。

大きな質問になってしまいましたが、申し訳ありません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

諸経はただ一心の脚注なり

妙法蓮華心 これなり
いかなるか 妙法蓮華心
読まぬ経 の 紐解かぬまま 
我かくの如し 汝またかくの如し
無為にして 大解脱なり
いかなるか大解脱の心
いま そこ ここ にありて 一切を受け 一切とどまりなく 残り物なき心なり
蓮華の泥中に在りて泥に染まらざるように
汝の心もまた ここに 至るまでの一切の 出来事を流し去り 残り物なし
あたかも鏡にものが映れど その跡無きが如く
空中 水面 に 文字を描けど その跡無きが如く
無為にして 常解脱 常清浄 なる 心
これ 妙法蓮華心なり 

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
質問してから一か月経ちましたが、まだ、正式な回答がないので
もう一度改めて質問させていただきます。

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