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塾講です。どうしたら良いのか分かりません。

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有り難し有り難し 32

できるだけ、たくさんの方から意見が聞きたいです。真剣な悩みです。

僕は大学2年(二十歳)で、塾のアルバイトをしています。
1年ほど前から、中3の女の子を担当していました。最初は明るく、良い生徒だなくらいにしか感じませんでしたが、共通の好きなものが多く話も合うし、雑談の際じっと目を見て話を聞いてくれたり、お菓子や絵をプレゼントしてくれたりして、気がつくとだんだん好きになっていました。色々なところに迷惑をかけてしまうし、それではいけないと思い、自分の気持ちを抑えて、生徒が合格できるよう一生懸命がんばってきました。

そして無事、受験が終わったのは良いのですが、昨日3月いっぱいで塾をやめると言われました。
今まで抑えてきた感情が爆発しそうになってとても苦しいです。常識的に考えて、あきらめた方が良いのは分かっていますが、何もしなければ必ず後悔してしまいます。その狭間で悩んで苦しんでいます。本気で好きになってしまいました。向こうからも、多分多少の好意はあると思います。(話すと顔が赤くなったり、ずっと話しておきたいと言われたので)

自分の気持ちを伝えてしまって良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

後悔すべき

後悔、これは人間が獲得した、人生を渡る知恵・工夫なのですよ。
よく「後悔するな、後悔しそうなことはするな」と言う方がいますが、これ鵜呑みにしたら大変ですよ。後先見ないで行動。それができるのは中学生までですよ。今までそれ(後先見ない行動)をしてこなかったのでしょうか?そちらを後悔しているのかな?
 恐らく、あなたは今自分に起きていることを、塾の社員さんには相談していないでしょう。そんな後ろめたい存在なのです、今の貴方は。…ということは、塾をきっぱり退職してから。であれば、「お付き合い」程度はいいんじゃないかしら。多分これが一番いいな。
 次善の策は、「最低一年は待て」です。今のタイミングで告白して云々となったら、彼女からの回答がどうであるにせよ、あなたの講師としての評判は勿論のこと、塾全体の評判も落ちます。私が親なら下げます。
 その一年の間に、他に彼が出来たりした、メールアドレスを変えられて連絡が付かなくなった、諸々…であれば、後悔すればいいのです、「ああ、あの時言っておけば良かった」って。だいたい、30歳が25歳を好きになるのとは訳が違います。光源氏か?

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

諦めも肝心

残念ですがきっぱりと諦めましょう。
そういうこともあります。
彼女には愛ではなく、慈悲で接しましょう。
慈悲とは、彼女の幸せを願い、苦しみに共感し取り除くことです。
彼女の楽しい高校生活を祈って見送りましょう。
それが彼女の為でもあり、あなたの為でもあります。
勉強とか何か困ったことがあったら聞きにおいで、と伝えるくらいなら良いでしょう。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

5年待ちましょう

あなたのパートナーのムックとして申し上げるなら「目を覚ませロリコン野郎!ポンキッキに出られなくなってもいいのか!」と泣きながら前歯と背中のヒレをむしり取ります。笑
言葉が少々乱暴で申し訳ないですが、少しくらい刺激が強くないと目を覚ませないかと思いまして。失礼しました。5年も待てばOKです。
怒られているとか思わずに冷静にキャッチして、軌道修正してください。
100万歩譲って(どんだけ)、気持ちは分らなくもないとも言わないでもないですが(どっちやねん)、フツーに考えて、うん、やめよう。(^<^:)絵的にもゼッタイ怪しい完全にアウト。逮捕もんです。
二人が仮に街をデートで歩いていてお巡りさん職質されたらきっと塾に電話します。生徒さんは確実に学校に通報されます。
「失礼ですがお宅の塾講師のピンガチャさん(20)が中学生とデートしていましたが、責任者の方はいらっしゃいますか?確認したいことが…」と。即日クビ。私がその子の父親だったら、確実にあなたの親に言います。その子だって学校で知れ渡ったら確実にクラス中で「えー!!」な光景が予測され、一生悲しい思いされるのではないでしょうか。可哀想だからやめましょう。それだけ違和感を通り越してアブナイ。
カワイイはカワイイのでしょう。ですが、恋愛対象と、カワイイと思う気持ちは混同させてはいけません。
あなたの社会的立場と、年齢とをよく考えてみましょう。それは越えてはいけない一線ッス。
どうしても諦められないのであれば、5年待ちましょう。
乗り越えてはいけない一線ってあるんです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございました!

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