こういう時はどうすれば?
今回も、僧侶の先生方に仏教的視点からのご指導を賜りたく、よろしくお願いいたします。先日電車に乗っておりまして、駅に到着する寸前に扉の近くに立っていますと、斜め前に白杖をついた方がいました。リュックを背負っており、ファスナーが開いていましたので「もしもし、ファスナーが開いていますよ」と言いましたら「大声でいきなり話すな!!」と怒鳴られました。電車が駅に到着すると、ホームで待っていた駅員さんに手を引かれて歩いて行きました。何かスッキリしない気持ちになりました。電車内ですので、大声を出した訳でもありません。僕は悪いことをしたのでしょうか?先生方のご指導をお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良いことをしたら忘れる
こんにちは。視覚障害者の方に勇気を出して声をかけてくれてありがとうございました。でもつらい思いをされましたね。
視覚障害者は目が不自由な分、音に敏感(音に対し注意深い)なのかもしれません。急に話しかけられてびっくりしたのかもしれませんね。あなたにとっては適度なボリュームだったけど、相手にとっては大きな声に聞こえたのかもしれません。
視覚障害者がみなそのような人な訳ではありません。これからも困っている人を見かけたら声をかけてください。
仏教で、人に親切にする行為を「布施行」といいます。
お坊様にお包みするものを「お布施」といいますが、本来は善行のことをいいます。
布施行の大切なことは「良いことをしたら忘れる」ことです。善いことをすると、私は善いことをした。お礼を言って欲しい。周囲からほめて欲しいと思ってしまいます。でもそれは「執着」です。そのような気持ちも捨てるのが大切とされています。
あなたは、かばんのふたがあいている人に「あいていますよ」と教えた。あなたは善いことをした。終了。これでいいとしましょう。(まあなんだかモヤモヤするけどね。)
見て見ぬふりは同じく出来ません。
お早う御座います。
私も同じく・・見て見ないふりが出来ないので、場所などにもよりますが言葉でなくジェスチャーで伝えたりします。時にはムッとされたりもしますが、ご本人が恥じぬ為にも必要かな・・と私は思っています。
慌ただしく過ごす中で、調子が悪そうにうずくまっている方を時々、駅などでお見掛け致しますがやはり、見て見ない振りが出来ず声を掛けたり駅員さんを呼んで上げたりしています。
困っている方が居れば手を差し伸べてあげることはとても大切だと思うのです。色々な顏があるように・・考え方も人それぞれです。その時に応じての伝え方で教えて上げて見てください。
合掌
相手が嫌がったのは事実。下手くそだった?
良かれと思ってやったことでも、相手が嫌がったのは事実です。
これを機会に、障害のある方への接し方について学んでみてはどうでしょうか。
あなたは悪人ではなかったけれど、かなり「下手くそ」だったのです。
質問者からのお礼
願誉浄史先生・やり方が下手くそだったのですね。猛省して改めます。ご指導頂きましてありがとうございました。
光禪先生・今回はご指導頂きましてありがとうございました。自分自身が困っている時、周りから冷淡な扱いを受けていたことがありまして、ほっとけませんでした。多少もやもやは残りましたが、仏様は見て下さっていると思いますので、これからも困っている人には手を差しのべます。
永寛先生・今回はご指導頂きましてありがとうございました。自分のしてることは間違いなかったと確信出来ました。これからも仏道に沿った人生を歩んで参ります。