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真言宗僧侶と神主の資格は両立できますか?

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有り難し有り難し 12

僕は仏教と神道が大好きで神様と仏様を同じように尊い存在として崇敬しています。
明治以前両者の距離は極めて近くほぼ同じ存在と言ってもよい状況でした。
僕はそれこそが仏教、神道双方の良い所でありそれが自然な形であると信じています。

今は失われてしまった神仏習合を実践しこれから先神道と仏教の距離を少しでも近づけることができるように、また双方の立場から物が見れるように僧侶兼神主になることが僕の目標です。

僕の家も寺院なのですが父にこのことを話すと家の宗派ではこの夢を実現するのは難しいと言われました。
そこで僕は真言宗の僧侶になろうと思っています。
そのための具体的な道筋もある程度決めてあります。

真言宗の大学に通い僧侶の資格を取った後、神主の養成学校で神主の資格を取り将来的に神社本庁の神社で働くという感じです。

寺院ではなく神社の側で働くのは、鎮守社や権現様をお祀りする形でどちらかと言えば神道の要素に寛容な仏教に比べ神道は明治時代に徹底的に仏教要素を排除した状態のまま基本的に変わることなくそのまま今現在まで続いており仏教以上に神仏習合の下地が出来ていないからです。

宗派として真言宗を選んだ理由は元々真言宗に興味があった事と歴史上真言宗は他宗派や神道など他の教えに対し積極的に共通点を探し共に進んでいく姿勢を持っていたからです。

しかし一つ問題があります。
真言宗における僧侶の資格と神道における神主の資格、この両立が出来るのかが分からない点です。

先ほど書いた通り僕は神社で働きます。
その状態でも僧侶の資格を持ち続けることは真言宗では可能なのでしょうか?
知り合いに真言宗のお坊さんや信徒の方がいないため聞いて確かめることも出来ません。

勿論お金や労力など神主の仕事をしながらも宗派、教団のために出来ることは全て果たしていきたいと思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

両立は出来ると思います。

初めまして、今日は。

とても素晴らしい志ですね!宗教とは・・抜苦与楽(ばっくよらく)の為にあるのです。私は過去にとても言葉では言い表せない絶望の中を必死に出口を求めていました。神も仏もないとあれほど憎んでいた仏の弟子になりました。

仏教の教えはとても素晴らしく、生きる為のヒントが散りばめられています。そして神宮さまも同じだと思います。今、空き寺問題などもあります。

それぞれの宗派様にはそれぞれのストーリーがあり、何千年と開祖様から引き継ぎ引き継がれその中で様々な困難を幾度も乗り越えて、今日があるのです。私たちはそれらを引き継ぎ、引き渡す為の懸け橋となり未来に託された事を引き渡して行く役目があるのです。

様々な宗教は、元を辿ると・・一つの所から家系図のように分かれていっているのです。それぞれの宗派さまを立場を尊重するべきだと思っております。それぞれの宗教は人種の役に立つ可能性を持っていて、異なる宗教は私たちに考え方の幅を与えてくれると思っております。これが私の考え方です。

私たちの身体は、何千年と続いている先人の生き抜いた証であり、父母の願いと思いがプラスされ過去でもない、未来でもない、この瞬間を生きているのです。

大切な気付きを与えて頂けたことや、夢や希望は捨てない限り逃げては行きません。結果をすぐに求めようとせずに、一つずつ丁寧に問題をクリアして目標に向かって行って欲しいと切に祈っております。

私も、在家から必死に40代でサラリーマンから僧侶となり、自宅の一室をお寺として開山をして、この困難の中を無一文と同じ生活を強いられていますが、これも与えられた試練です。私を必要とする誰かの為に、志をぶれず曲げず諦めず、負けずに守り貫く覚悟で挑ませて頂いております。こんなにも弱い私でも夢を実現させることが出来たのです。

決して頑張らずに・・ほどほどが一番丁度いいのです。あなたにはあなただけにしかない良さがあります。その良さをプラスに変えて、自分自身も、人生も、運命もちょっとの勇気と行動でいくらでも変えられます。あなたらしく人生と言う長い冒険旅行を仕合せに歩めますように、お祈り致しております。

南無大師遍照金剛

合掌 礼拝

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有り難し
おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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質問者からのお礼

回答いただきありがとうございます!
ご自宅の一室をお寺として開山されたというお話にすごく感銘を受けました。
散り散りになって久しい神仏習合に挑戦していく中で僕も自分の家の一部屋から始めるつもりで志をぶれず曲げず諦めず、負けずに守り貫く覚悟で挑んでいきます。

インドでお釈迦さまが説かれて以来たくさんの方々のお力によって伝わった仏教と生まれて以来日本にあった信仰である神道が一つに融合し完璧に調和していたのも永寛さんの仰る通り一つの所から家系図のように分かれていったからだと思います。
その両者を合わせて最大限人々の役に立つ可能性を広げていこうと思います。

ほどほどというのはまさに中道の教えですよね!
僕は中道の教えが大好きで生活の中でも中道を意識しています。
僕の良さ、長所はあるんだろうかという思いが常々ありましたが仏教と神道を積極的に勉強したいと思うこの衝動こそ自分の良さだと思ってプラスに変えていこうと思います。

本当にありがとうございました
南無大師遍照金剛                  
                                  合唱

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

有り難し有り難し 7
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僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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