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不動明王様が苦手

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有り難し有り難し 6

自分の家は真言宗の檀家になっており、不動明王様に接する機会もあるのですが、昔から不動明王様が好きになれません。
様々な御利益や功徳を頂けるありがたい仏様であるのはわかっており、大日如来様の化身であることも存じているのですがどうしても好きになれません。
昔、学生時代にイジメを受けており不動明王様の力づくで救ってくださる姿が駄目かと考えていたのですが、絶対に嫌いと云うわけでも無くお参りさせて頂く際は合掌させて頂きます。ただ、進んでお参りする事が有りません。
何が原因なのか分かりません。不動明王様が嫌いと相談出来る方も居らず、今後、どのように不動明王様とお付き合いすれば良いかアドバイスを頂けたら幸いです。宜しくお願い致します。
自分が好きな仏様は大黒天様と愛染明王様と蔵王権現様です。

2024年7月9日 2:54

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【追記あり】心のはたらきに気づく

何が原因か分からないぐらいかなり昔に、心の奥底に抑圧した「何か」が苦手意識に繋がったのかも知れませんね?

結論から言いますと、
ベンジャミン三世さんがどんなに「苦手だ」と思っても、如来様、菩薩様、不動明王様の方から嫌ってきたり、遠ざけたりすることはないと信じて良いと思います。

防衛機制というのがありまして「受け入れられない自分の感情、あるいは自分の悪い部分。それを
相手に映し出し、相手が私を嫌っているんだと思い込むこと」を【投影】と言います。

本当は、自分自身の何かが嫌いであるのだけれど、それらが自分の中にあることが「受け入れられない」ために、
「相手がそう思っている」と思い込むことで「ほらね、そうでしょう?」と安心しようとするのが投影です。

人や物事には、良いところもあれば悪いところもあるものですが、こころの中でそうした両側面を上手く統合することができないと『良い』か『悪い』かのどちらかを相手に映し出してしまうことがあります。

それが、たまたま不動明王様だったのでしょうね!

ベンジャミン三世さんは
「私は不動明王様、何だか苦手だなぁ」と思い
心のバランスを保とうとしてきただけなのかも知れませんね。(苦手なんて思ったら駄目だよ!と強く思い込んだ)

しかし、無理して好きになろうと努力をしなくても大丈夫です。

「不動明王様が苦手意識な自分もいるんだなぁ」と気づくだけで十分だそうです。
ですので、無理をしなくても苦手意識はなくって行くのだそうです。

詳しくは河合隼雄 著
「影の現象学」をご参考にされたらよいかなと思います。とても面白いですよー!

「防衛機制」「シャドウ」「投影」「投影の引き戻し」で検索すると更に分かり易いかも知れません。

追伸/分かりにくい文章で申し訳ございません。かなりカットして纏めました

2024年7月9日 6:50
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有り難し
おきもち

はじめまして、薫衣(くのえ)きみこと申します。 私は、これまで心理...
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質問者からのお礼

薫衣きみこ 様
ご回答有り難うございました。
不動明王様に対しての向き合い方をアドバイスして頂き、胸のつかえが取れた気がします。
自分と向き合い、良い方向に進めるよう頑張りたいと思います。 

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 10
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真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

有り難し有り難し 7
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真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ