いじめをしてしまったことへの罪悪感
私は過去に2回いじめをしてしまったことがあります。
そして今、人の心を傷つけてしまったことや大切な人に全てを打ち明けられないことから罪悪感に苛まれています。
私がいじめてしまった相手2人には謝れていません。
ひとりは小学生のときで、中学生になってからは普通に会話するような関係になりましたが、高校進学と同時に疎遠になってしまい連絡先も知りません。
もう1人は高校生のときで、私を含む何人かがその子に対して苦手意識を持ち、いじめのようなことをしてしまったことが原因で退学してしまいました。
その子はSNSをやっているようですが、ごく一部の親しい友人にしか公開していないようです。
過去を振り返る度に自分は幸せになってはいけないのだと思い辛くなります。
私はこれからの人生をどのようにいじめの加害者であった過去や罪悪感と付き合っていけば良いのでしょうか。
よろしければ回答をお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な気づきを与えて頂けた事を忘れないでください。
初めまして、今日は。
誰もが、気が付かぬ内に過ちを犯してしまったり・・気が付いていても過ちを犯してしまう事があります。それらに如何に、気が付いて反省をして同じ過ちを犯さぬか?そして、人生と言う冒険旅行の中で・・沢山の気付きを与えて頂けます。それらをしっかりと受け止め自分のものにするか?が大切なのです。
人生を歩んでいる中で、時には傷つけてしまう事もあります。そして傷つくこともあります。そこから学ぶことも沢山あります。人の痛みがわかり、その様な場に直面した時にちょっとの勇気を出して、正していける人となって欲しいです。そして、それがあなたにとっての課題だと思います。
気付きをキャッチして、後悔をし反省をされているのです。私は懺悔された事と同じだと思います。同じ過ちを犯さない為にも、心の片隅に留めて置いて欲しいです。
生きる全てに、平等の命と仕合せになる権利が与えられています。人生も運命も自分自身もいくらでも変えられます。そして、どんな人にも仏心や必ず一つは良さを与えられてこの世に生まれてくるのです。あなたにも、あなただけにしかない良さがあります。そして仕合せになれるのです。
無理なく、自分の出来る事を周りにご恩返しをして見ませんか?私は、歩いていると空き缶やゴミが落ちていたらそれらをゴミ箱に入れたり、困っている人には声を掛けたり、電車に乗っている時に妊婦さんや小さな子どもを抱っこするお母さまに席を躊躇せずに譲ることをさせて頂いています。それらは見返りない純粋な心で行っています。ゴミ拾い・・私の友人もボランティア活動で、それを星屑(ほしくず)拾いと言っておこなっています。
周りに染まって、皆がそうだから・・と心をとらわれたり奪われたりして、自分を見失わないでください。あなたは、あなたなのです。あなたの変わりは誰も居ません。善き事を想い、行動をして過去も出ない、未来でもない、二度とないこの瞬間をあなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩んでください。
合掌
質問者からのお礼
永寛さまへ
回答ありがとうございます。
回答を読ませていただいて、「あなただけしかない良さがある」という言葉に救われました。自分の良さは自分では今のところわかりませんが、今後は二度と同じ過ちを犯さないことはもちろん、他人の痛みがわかり正していける人間になれるよう、永寛さまのいうように自分にできる恩返しをしていこうと思います。本当にありがとうございました。