他人への憎悪が止まらない
私は子供の頃の母や周りの人間に言われた言葉が忘れられません。言われた言葉は死ね、とかキモいなどです。母は父が生きていたとき不倫をしてました。父の事も悪く言い、父が死んでも不倫相手と交際してます。正直死ねと思います。私には散々真面目に生きるように言っといて。たまに頭の中で母を殺します。そうしないと抑えきれないからです。
私は母が働けとよく言うので、脳のない私は体を売って稼いだ金を母にあげてました。その時知り合った客と三年同棲してます。その男も殺したいくらい憎いです。
何故なら私の知り合いを全員連絡消せと言って消させたからです。私は孤独になりました。母と同じように浮気しそうな私が怖いです。私の客だったくせに、私の過去の話も受け入れないその男も大嫌いです。
私が信じるのは人間の欲と、お金だけです。あとは動物です。本当は愛とか信じたいけど、どうしてもそれだけは私の根本が否定します。皆都合がいいのに私も都合よく生きてはならないのかと思います。ちなみに、私は相手が浮気しても気にしない人です。遊んだ方がその人の勉強、人生の潤いになるんじゃないかと思うからです。
何が正しくて何が正しくないのか分かりません。私の心には常に強迫観念があるみたいです。助けて下さい。もっと楽に生きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたの人生に仏様が御一緒し続けて下さっています
本当にお辛い人生を歩んでいらっしゃいましたね。
あきらめず、投げずに ずっと今まで生きていらっしゃったことにまず敬意を表します。
その上で申し上げます。
都合の良い生き方を望んでいらっしゃるそうですが、それは結局 身勝手な生き方であり、煩悩丸出しの、いえ自らの煩悩に支配された生き方です。仏教ではそのような生き方を離れることを説きます。そんな生き方はかえって自分を苦しめることになるからです。
いまのお相手が浮気しても気にしない…のは、お相手のことを本当に愛していないからではありませんか。また浮気されたときに御自身が傷付かないように予防線を張っているのではありませんか。
『浮気しないで!』と叫んで下さい。叫んで良いのです。叫べるあなたこそが本当のあなたです。またお気持ち逆なで致すことかも知れませんが、どうかそう叫びたくなるお相手とのご縁を求めて下さいませ…。
何が正しいかなんて、そもそも人間にはわかり得ないのです。
親鸞聖人は『善悪の二つ 総じてもって存知せざるなり』(何が善で、何が悪か私にはまったくわからない)〈歎異抄〉とおっしゃっています。
善悪わからなくて構わない…それは仏様がご存じだから という仏教的スタンスです。
結論出さないで下さい…今の自分に。今の置かれた自分の状況に。なぜなら、それらは変わるからです(『諸行無常』)。変わっていく、そして変えていけるものだからです。
どうか既にあなたに降り注がれている仏様の慈愛を受けとめて下さいませ。あなたが今生きていること自体が奇跡であって、それは仏様があなたに御一緒し続けて下さっている証(あかし)なのだと受けとめて下さい。
精一杯生きているあなたを、仏様は決して見捨てません。見放しません。抱き取って離れることがありません。
そんな仏様の慈愛のはたらきを御念仏(南無阿弥陀仏)と申します。どうか御念仏を小さな御声でお称えしつつ日暮らしなさって下さい…。
質問者からのお礼
ありがとうございました。正体の分からない事に正解を求めようとしてばかりで、固執してしまっていました。私の中で心落ち着ける居場所が今まで無かったのかもしれません。心の中に仏様を感じて日々生きていれば、少しは心が穏やかになると思いました。こんな私に回答を下さりありがとうございます。