気持ちが迷子です。
私は現在、看護学生最後の年です。
世間ではとても慌ただしい日々ですが、だからこそ早く看護師になって患者さんや家族をサポートしたいと思っています。
昔から人を助けたい、笑顔にしたいと強く思っており、気がとても弱くすぐにクヨクヨしてしまう私ですがなんとか最終学年までこの思いがあるからこそやってこれました。
しかし、最近就職先の面接に行き、そこで面接官におとなしそうね。それで看護ができると思っているの。ちょっと向いてないんじゃない
と言われました。
ここまで言われたのは初めてです。緊張もあっておとなしくみえたのかもしれません。
私にもなにか非があったのかもしれません。
ここの病院は第2志望でしたが、結果はやはり不採用。
だけど不採用よりもその面接官の言葉が頭から離れません。
これから、第1志望先の面接、長い長い実習、国家試験とありますが、もうモチベーションが保てなくなってしまい、看護師になりたいという気持ちと裏腹に私は向いてないんじゃないかって強く思うようになり、もう気持ちが迷子です。
あの面接官とは合わなかっただけ、放っておけばいいなどと言い聞かせたりしてるのですが、もう私の1番弱いところに付け込まれた言葉だったみたいで、自分でも想像以上に動揺しています。
次の面接や国試は刻々とせまってきており、勉強もしなければいけないのに手につきません。
だけどやっぱり心の奥底では看護師になりたい気持ちが強くこの道は諦められません。
どうすれば、あの言葉に立ち向かい、次へと前向きに捉えられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な心を、奪われずに。志を忘れずに!
初めまして、お早う御座います。
志、原点を決して忘れない事・・それは、とても大切だと思い日々の日常を私は修行の場として、どんなに苦しい事も、善き事も有難く摂取させて頂いて過去でもない、訪れていない未来をふと・・考えるからそれが不安となり心配となるのです。その未来でもない、二度と来ないこの瞬間を生きているのです。
順風満帆で平凡な日常を当たり前のように過ごし、ある日それらが全て、崩れ去り絶望のどん底に突き落とされ、妻を病魔に奪われました。手術が出来ない部分の腫瘍。ただ死を待つのみの愛おしい妻との残された時を必死に繋ぎとめて生きていました。そのひと時や沢山の人の中から出会って過ごした僅かな日々も、懸命に介護した日々も全てが生きる支えであり何にも変えられない私だけのこの命以上の宝なのです。
あなたの素晴らしい志、そして看護師さんとしての新たな人生に向けての挑む事、とても素晴らしいと思います。決して頑張ろうとせず、全てに当てはまる”ほどほど”を忘れず、そして自分自身と大切な心を見失わないでください。あなたには、あなただけにしかない良さがあります。人には誰にでも仏心と良さを生まれて来る時に頂いてこの世に生を受けるのです。そして、幾度も幾度も困難と言う嵐を乗り越えて来た先人方の生き抜いた証と、父母の願い思いが重なりこの瞬間を生きているのです。立ち向かえる力、困難を乗り越えられる力は誰にでもあるのです。
こう言われたから・・という出来事にとらわれずに、枠に留まらず、無理にその場その場で顔を作らずに、堂々と、あなたらしく挑みませんか?しかめっ面をして過ごすよりも、笑顔で有難う!という言葉を増やして見ませんか?自ずと善き事が訪れます。人生も運命も自分自身もいくらでも変えられるのですから。
希望や夢を捨てなければ逃げていきません。こんなに弱い私でも、40歳を超えてあれだけ憎んで恨んだ仏の弟子となり、お坊さんとなり無一文に近い中でも小さな寺を守って生きているのです。ちょっとの勇気と努力で可能性は無限に引き出せます。結果を急いで求めず、丁寧に一歩ずつ夢を叶えてあなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩んで行ってください。夢が叶えられます様にお祈り致し応援しております。
合掌
質問者からのお礼
1ヶ月程度経ちましたが、お礼をとコメントを書かせていただきました。
悩みを聞いていただき、また回答して下さりありがとうございました。
「あなたらしく」という言葉に、あれから私は私でいいんだと思うようになり、第1志望先の面接では、自分のなりたいものを伝えることができました。
そして私事ながら無事に第1志望先の病院へ就職することが決定しました。
これからも私らしい看護をして行きたいとおもいます。
お忙しいなか回答ありがとうございました。