就活の停滞感と罰当たりな考え回答受付中
今就活を全力でしているのですが、なかなか結果がでません。
いつか良いところに就職できると思って、前向きに何度も立ち上がって取り組んでいます。
ですが、結果を待って、何度もお参りして、落ちることを繰り返したため、自分の実力が足りないだけであるのに、仏様に見放されてしまったかと、罰当たりなことを考えてしまうようになりました。
就活で、未来がわからず、暗闇をさまよい歩いているような今、仏教では、どのように考えて乗り越えるか、教えていただきたいです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悩み苦しみの原因
仏教は、悩み苦しみの原因を制御したり消したりできれば悩み苦しみを制御したり消したりできるはずだという、原因と結果の因果関係を利用します。
悩み苦しみ(対処すべき宿題)には、秒単位の宿題、週単位の宿題、月単位の宿題などさまざまな時間(締切)があります。
例えば、海に潜ってあと1メートルでウニを捕れるけれど、今すぐ息継ぎをしないともたない状況なら、ウニよりも呼吸を優先します。
仮に飢え死にしそうでどうしてもウニを食べたい場合でも、呼吸したいという苦痛(宿題)の締切の方が優先です。
そのときに、それでもウニを捕りたいと執着し続けるなら、酸素不足で失神したり溺れ死ぬかもしれません。
ウニへの執着という煩悩が呼吸を邪魔している場合、ウニへの執着は悩み苦しみの原因と言えます。
ウニを食べることは生きるための手段であって、目的は生きることです。
手段(ウニ)のために目的(生命)を失っては本末転倒です。
就活も、手段と目的をはき違えず、宿題の期限(様々な苦痛の期限)を整理して臨む方が良いでしょう。
今できることをやるしかないのですが、同時に、今すべきことなのか、今はやらなくても良いことに時間を割いていないか、今の目標(ウニ)にいつまでも執着してよいのか等を考える必要がありますね。
日常生活の中での優先順位の選択と、ときには妥協(ウニをあきらめる)ことも必要ですね。
とはいえ、どうせできることしかできない人生です。
今できることをできる範囲でやれば合格人生だと思いましょう。
質問者からのお礼
願誉浄史様
ありがたいお言葉をいただき、ありがとうございます。
就活を目的であると勘違いしていたので、生きることが目的であると、少し心が軽くなりました。
就活の期限を設定することで、もう少しだけ頑張ってみようと思います。
仏教での考え方を教えていただき、ありがとうございます。