父が居なくなって
父が亡くなって3カ月が経ちました、普段の生活の中ではあまり父を思い出さなくなって来ています。
でもふとした瞬間に、父を思い出し一人で泣いています。
辛い時、どうしたらいいのかわからない時、父ならこう言うかな、と思い出し涙。そして一番思うのが父に会いたい、声を聞きたいと強く思います。
生前、2人でやっていた農家も、今は周りの人に聞きながら自分1人でなんとか回しています。
そんな自分の姿を見たら父はきっと嬉しそうに笑いながら喜んでくれただろうな、と思いながら涙。
正直、かなり辛いです。
周りは「いつまでも悲しんでないで頑張るんだよ」と、言いますが、そんな事、無理です。だって間違いなく、父はこの前までは自分の隣にいて一緒に苦楽を共に過ごしてきのですから。
夢でもいいから会いたいと何度も思いました。でも会えません。
父が居た家に居ると泣いてしまうので今は離れで生活しています。
自分はこんな感じでコレから先もいいのでしょうか、本当にわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分自身を見失わないで、この瞬間をあなたらしく。
お早う御座います。
私も、順風満帆で当たり前のように平凡だった日々から、突然・・絶望に嘆き身を引き裂かれる以上の言葉で言い表せない濃い霧の中に放り投げられ、必死に歩いていた時があります。大切な妻を病魔により奪われました。手術が出来ない脳幹部の腫瘍。死をただ待つのみでした。どうしたら良いか、日々嗚咽を噛みしめ泣いて過ごしては妻の前では笑顔で過ごし、今できる事を必死に探し残された日々を1秒でも心のアルバムに想い出を焼き付ける様に大切に過ごし看取りました。今は命の時間をお父様と一緒に過ごしているのです。姿形は見えませんが、あなたの中にお父様の霊魂は入って、共に泣いて想いに寄り添い、想い出に共感をして過ごす時を歩んでいます。頑張るという言葉は私も一番大嫌いな言葉です。もう頑張る事をストップして、一番いいほどほどで泣きたい時に思い切り泣いて立ち止まりながら自分自身を見失わないように、過去でもない訪れていない未来をふと・・考えて不安や心配になるよりも、二度とないこの瞬間をあなたらしく過ごして欲しいです。お父様の願いでもあるのです。あなたが生まれるまでの間をどれだけ待ち遠しく過ごし、生まれた日の出来事を宝のように心に焼き付け、どれだけ愛おしくどんなに苦しくても、あなたの笑顔を支えにして乗り切り家族を守り、あなたを育て上げた事は、あなたが一番理解していると思います。お父様の願いや想いだけでなくご先祖様の試練を幾度も乗り越え生き抜いた証があなたなのです。あなたの名前にもお父様の願いが込められています。託された事、そしてお父様が出来なかった事を成就していく事、ゆっくりと時分らしさと、笑顔を取り戻していって欲しいです。命の時間には制限がありません。お互いのペースで歩んで、もう大丈夫と思った時、それぞれが新たなストーリーを歩み出していくのです。人生の先導となりあなたをしっかりと同行二人となり守っていってくれます。必ずお父様と此岸から彼岸に辿り着いた時に会えるのです。終わりでなく新たなストーリーに進む事なのです。想い出を心に刻んで、いつか彼岸に辿り着いた時にアルバムを開いてお父様を抱きしめて伝えてください。純粋な祈りや想いは必ず届いています。しがらみ苦しみから解放され本来のお父様で、あなたを守ってくれています。一緒だという事どうか、忘れないでください。お父様に心から 南無大師遍照金剛 合掌
空海上人も身内の不幸に言葉をなくした
aceraさん、はじめまして。質問を拝読しました。
aceraさんは、大切なお父さまを見送り3カ月が経ったけれども、ふとした瞬間にお父さまを思い出しひとりで泣いてしまうのですね。そして、自分はこんなままでこれから先もやっていけるのか分からなくなっているのですね。
身内を亡くされた悲しみは何事にも代えがたいものです。
日本に密教を伝え高野山を開き、日本各地で社会事業に尽力し、幾多の書物を書き残したスーパーマンのような空海上人も、後継者にと考えており血を分けた甥が37歳で他界したときは言葉をなくしました。
空海上人は文章家でもあり、巧みな例え話を用いて流麗な文章を書きます。しかし、甥が亡くなったときは「悲しいかな、悲しいかな。悲しみの中の悲しみかな」としか言葉を綴ることができませんでした。
aceraさんが、ふとしたことで涙を流しもう一度夢でいいからお父さまに会いたいと思うのは当然のことです。悲しいときは感情にふたをせずに大声で泣く方がいいのです。
空海上人は甥を亡くした悲しみから立ち上がりました。
仏教では諸行無常と説きます。川の流れはいつも同じではない。昨日の川の水はもうそこにはないのです。
空海上人がすべての人を救いたいと生涯を捧げたように、aceraさんがふたたび立ち上がり人の役に立てる日が来るよう祈念しております。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
お言葉を読んでいる時もボロボロと涙が止まりません。
父は寝たきりになった母を看病しながら自分を育ててくれました、そんな姿を見ているので自分は「なんで父が」と言う思いがとても強いです、それと、父のやっていた農家の仕事もいつかは父に教わって自分がやるだ。と、少し楽しみに思っていた事も今となっては叶わない夢となってしまった事がとても残念です。
でも、父が「お前は農家やるのか?」と聞かれた時に自分が「ここにいる以上はやるばい」と、答えたら嬉しそうに「そうか、んじゃ機械は俺が新しいのをそろえてやるからな」と言って自分の要望通りの機械を揃えてもらいました。
おかげで物に不自由する事なく今はやれています。欲を出せば本当に2人で仕事をもっとしていたかったです。でもとりあえず今は残してくれた物を守って行けるように努力していきたいです。
本当にありがとうございます。